ブラジル・ニッポン移住者協会(杓田美代子会長)は、サンパウロ大学(USP)植生研究院に付属する日本庭園(Rua do Matão ,277, Universidade de São Paulo、平日午後5時まで出入り自由)の修復事業を行った。同事業は日本庭園造園50周年とブラジル日本移民110周年を記念したもの。6月28日には野口泰在聖総領事立会いの下、庭園修復完了記念の「盾」をヴァハン・アゴピヤンUSP総長に贈呈した。
USP植生研究院の日本庭園は、1967年にサンパウロ花卉同好会(初代会長・下元健吉)が造設した。開園式には日本移民60周年記念でご来伯中だった明仁皇太子、美智子妃殿下がご列席されテープカットをされた。
ブラジル・ニッポン移住者協会は、2002年の戦後移住再開50周年記念式典実行委員会を前身とする団体で、桜やイペーの植樹活動、カルモ公園の自然林造営活動などを行い、サンパウロ花卉同好会の事業も一部継承した。
修復は日本庭園専門の庭師・吉田欣司氏と契約を交わし、昨年6月から1年を掛けて完了させた。
野口在聖総領事立ち会いの下行われた修復記念式典には、ヘルメス・ファジェルスタンUSP都市長や教授、学生、市民、総勢200人が参加した。大本本部所属の秋山昌廣氏と藤井剛三氏が神式の開園式を行い、山岡秋雄(ブラジル邦楽協会副会長)が尺八を吹奏した。
日本庭園の詳しい情報は、USPサイト(www.culturajaponesa.com.br ou www.puspc.usp.br/jardim-japones)に掲載されている。
コチア青年が「棟門」寄贈=上棟式で100人が玉串奉納
ブラジル・ニッポン移住者協会(杓田美代子会長)は、ヴァルゼン・グランデ地方在住のコチア青年らの協力を得て、USP構内の日本庭園に棟門(日本の公家や武家の邸宅や寺院の塔頭などで用いられた屋根つきの門)を建設した。建材提供=西川忠雄氏、施工=イヴァン・ロゲイロ・オリベイラ 氏。
4月5日には上棟式を挙行し、大本の導師、藤井剛三氏の取り仕切りの下、100人を超える列席者が玉串を奉納した。式には野口在聖総領事、渡辺一誠教授、ヘルメス・ファジェルスタンUSP都市長らが出席し祝辞を述べた。
USP植生研究院のグレゴリオ・セカンチニ教授からは杓田会長に感謝の言葉と花束が贈呈された。
また、造園当初に植えられた日本松が1本を残して無くなっていたため、故・吉田欣司氏が日本松を植えることを提案。ヴァルゼン・グランデ在住コチア青年の肥後英樹氏が5本提供し、コチア青年の相談役の村田重幸氏が「這え松」を1本、提供した。
式典後は参列者に軽食が提供され、庭園内を散策しながら交流を深めた。当日の司会は古藤ウイルソン氏が担当した。
末永く愛される庭園に=ブラジル・ニッポン移住者協会会長=杓田 美代子
USPの日本庭園は今から51年前、1967年に「サンパウロ花卉同好会」が造園しました。
この年は日本移民60周年の節目の年で、ブラジル政府は明仁皇太子、美智子妃殿下をブラジルに御招待しました。両殿下は庭園の開園式にもご出席下さり、テープカットをしてくださいました。
今年、2018年はブラジル日本移民110周年の記念の年です。日本移民を受け入れて頂いたブラジル政府と国民に対する感謝と日伯の絆の証として、日本庭園がその役割の一端を担ってくれることを祈念します。
宮坂国人財団をはじめ、多くの団体又個人の方からご協力を頂き、日本庭園本来の景観の再現を成し遂げることが出来ました。
修復された池にはイビラプエラの日本館から10匹の錦鯉を寄贈して頂きました。「棟門」はヴァルゼン・グランデ地方在住のコチア青年の有志の方々から、ご寄贈頂きました。更に、日本松等の苗木も有志の方々からご寄贈頂き、日本庭園の風情が更に深みを増しました。
去る、6月28日ヴァハン・アゴピヤンUSP総長へ日本庭園修復完了記念の盾を野口在聖総領事のご臨席の下、贈呈致しました。
USPのサイトに日本庭園について広報して頂くことで、その存在も広く、周知されることと思います。現在も尚、日系子弟の多くが勉学に励んでいるUSPの日本庭園が皆様から愛され続けられることを望んでいます。
庭師、吉田欣司氏に追悼の言葉
2017年6月、USPの日本庭園修復事業を南米産業開発青年隊の吉田欣司氏に引き受けて頂きました。
50年前に造設された日本庭園は2003年に改修されて以来、手入れはされないままだったため、庭木が伸び放題で、庭石も汚れ放題、池も水漏れしていました。
吉田氏は庭石を一つずつ、泥をこそげ落とし、庭木の細かい枝に丁寧に鋏を入れ、真剣に取り組んで居られました。池の修復は主にご子息の大希知氏が担当されていました。
吉田さんは3月30日 急性心不全で逝去されました。
大希知氏と従業員のアドナイ氏が改修作業を引き継いで下さり、日本庭園は無事改修完了いたしました。吉田さんもご子息の仕事振りを空から見守って、今頃は安心されていることと思います。心からご冥福をお祈りします。
USP日本庭園物語=ブラジル・ニッポン移住者協会名誉会長=小山 昭朗
2003年、戦後移住者で構成する7つの団体が戦後移住50周年式典を挙行する為に祭典委員会を組織しました。式典は州議会会場で大々的に挙行され、記念事業として日本とブラジルの友好のシンボルとして桜とイッペーの植樹を行いました。その際、USPも植樹の対象地になりました。
USP構内で桜の植樹を行った際、日本庭園の存在が分かり、調べてみると、庭園がUSPに贈呈されてから30数年も経っていることが判明しました。贈呈後は手入れがなされず、当初の景観がかなり損なわれていました。
そこで祭典委員会は、庭園のバックに桜を植え、庭園の全体的な整備を行いました。庭師に依頼して、剪定や池の修復、12匹の錦鯉の放流などでかなり日本庭園らしく修復され、再贈呈の儀式には当時の総領事や沢山のUSPの先生方が参加してにぎやかに行われました。
あれから15年が過ぎました。祭典委員会はブラジル・ニッポン移住者協会となりました。
ブラジル・ニッポン移住者協会は、今年の移民110周年の記念事業として、再びこの日本庭園の大改修事業を企画し、前回より更に大規模に、1年以上をかけ、杓田新会長の下、本格的な改装を行いました。多くの方々のご協力により、改装が実現したことは、我々当事者としても大変喜ばしいことであります。以前にもまして、いや多分、創設当初より更に充実し、美しくなった日本庭園は非常に見ごたえのあるものになりました。
大切なことは、今後どのようにしてこの庭園を美しいままで維持していくかという事です。それによって、これから何年にもわたって、多くの若い学生たちに、この日本庭園という一つの美しい日本文化を伝えていくことが出来ます。
こうした事は、我々の協会だけの問題ではなく日系社会が一丸となって努力していかなくてはならない大きなテーマだと思います。
ブラジル・ニッポン移住者協会の経緯=ブラジル・ニッポン移住者協会最高顧問=中沢 宏一
2002年、翌年の戦後移住再開50周年を祝うため、戦後移住の有志らが委員会を設立しました。そして、2003年7月26日に記念式典を行いました。
準備期間が短く、配慮の行き届かないところもありましたが、戦後単独移住者の平均年齢が70才という頃で、まだ活力が残っていたため、事務局も充分に機能していました。
日本には政府機関、関係団体、都道府県等に案内状を出し、海外日系人大会時には、小山昭朗氏、菊地義治氏が訪日し、宣伝、招聘活動も行いました。お陰様で式典には県知事4名、副知事2名、国会議員、ふるさと
創生団など300名以上が日本から出席され、サンパウロ州議会での「日本祭」の会場で州政府の全面的支援を得て、州知事アルキミン氏等がご出席され、盛大に開催できました。
そして、予想以上の相乗効果を醸し出し、日本側へも認知される日本祭となりました。
委員会を「ブラジル・ニッポン移住者協会」と改称し、関連事業として記念誌発刊、桜、イペーの植樹、3代目会長・小山昭朗氏の時代にカルモ公園、エコ公園などに自然林の造営をオイスカ、日系企業と展開し、立派な森林を残しました。
そして、この度、USP構内の日本庭園の改修です。
こうして見ると50周年、60周年の式典、植林、日本庭園改修など主な事業は全て州政府に関係し、後世に残る事業でありました。
2108、19年理事構成
最高顧問 中沢 宏一
名誉会長 小山 昭朗
顧問 内山 住勝
会長 杓田 美代子
副会長 大矢 進貞
第一書記 松井 英俊
第二書記 有田 稔
第一会計 増渕 恒夫
第二会計 石坂 信枝
監査 金谷 義治
羽鳥 愼一
吉田大希知
監査補欠 毛利 ペドロ
桜担当 羽鳥 愼一
日本庭園担当 吉田大希知
年会費 100レアル