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自分史=私のシベリア抑留記=(28)=谷口 範之

 一方、衛兵所と将校宿舎の間の小舎は、軽症患者用病棟として三六名が収容された。共同宿舎第二棟は、回復期にある一〇〇余名が集められた。医者もいなければ薬品類皆無で、病人の自力回復待ちの有様なのに今更病院でもあるまいと思っていたら、国際赤十字社が医者を派遣し視察団を同行するとのことで、急に病院や病棟を設置したということだった。くだらない辻褄合せをやるものである。国際赤十字社からの視察は噂で終った。結果として病人を隔離しただけのことであった。
 昨年九月、将校たちは不平分子を調査するために所持品検査に名を借りて、兵たちから手帳や紙片を取上げた。私も手帳に将校が作業に出ようとしない上、食料の横領をしたために次々に戦友が衰弱死してゆくが、これは殺人行為である、帰還したら告訴すると書いた。だから彼らにとって、私は危険人物の一人に違いなかった。その危険人物の私に、軽症患者三六名の管理看護を指名した。やることと言えば、朝夕配給される薄粥を各自の飯盒によそってやるだけである。残った粥が私の食料になるのだが、大抵飯盒一杯分はあった。
 他のものに比べれば、倍以上の食事にありついている。つまり将校は倍以上の食事にありつくことを見越して、私を籠絡しようとしているのではないか。現状から考えて損な取引ではないから黙って従った。
 噂では病院に収容した患者の世話に、自力で動ける軽症者を一〇人送りこんだという。

  三、将校の食缶を凍った糞便の上に

 数日後の晴天の日、私は病舎から出て日光浴をしていた。
 柵の外を食料受領の炊事班五名が帰ってくるのを見た。なかの一人は股肉を一本重そうに担いでいる。兵営でも一片の牛肉にありつかなかった。ここに来て久方ぶりに肉が食えると喜んだが糠喜びに終った。股一本の肉は、将校六人が独占したのだ。兵には骨だけが宛がわれた。その骨も五㎝位に切り、粥の中に混入したから、運のいい奴に一片の骨が当った。犬猫扱いである。骨を当てた奴は、まるで犬や猫のように骨をしゃぶった。根気よくしゃぶっていると、外側の琺瑯質が次第に溶け、その下側は茶色のザラザラした物質になっている。これは簡単に噛み砕ける。が、消化はしなかった。そんな話を戦友から聞き、部下に一片の肉さえ宛がわない将校の独善的横暴に、私の神経は切れてしまった。
 それから数日後、夕方の点呼時をねらった私は将校宿舎に堂々と入っていった。
 年が変ってからも、ソ連側は点呼をしなかった。将校たちは自分の権威を保とうとして、動ける兵を集めては、朝夕の点呼に固執していたのである。奥の第一宿舎には、伐採帰りの二四人の外、自力で自分の用がたすことができる五〇人位の兵がいる。その宿舎の前に兵を整列させた将校は、私の位置から後姿を見せている。私は将校用の食缶を、誰にも見咎められずに持ち出した。牛肉の匂いが紛々している。食缶というものの一斗缶に針金で持ち運びできるようにしただけである。その食缶には醤油、牛肉、野菜混りの固い飯が半分ぐらい入っていた。
 病舎の入口の左側の小部屋は床板が張られていない。床土を少し掘り下げ、板を渡して患者用の便所にしてある。