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クリチーバを環境都市に=パラナ州元局長の中村矗さん=豊かな市民生活に大貢献

中村さんと「針金オペラ座」

中村さんと「針金オペラ座」

 多数の公園を配置して環境に配慮するなど優れた計画都市として国連でも称賛されたパラナ州都クリチーバ市。その発展に大きく貢献したのが1970年に渡伯し、市環境局長を務めた中村矗(ひとし)さん(73、兵庫県)だ。後にパラナ州環境局長になるなど、戦後移民でありながら目まぐるしくブラジル社会で活躍した中村さん。その経歴やブラジル社会における仕事術を取材した。

 

 中村さんは1963年に大阪市立大学の農学部造園学科に進学し、海外農業研究会に所属。在学中に訪伯し、「将来はブラジル農業を改善したい」と心に決めた。

 大学院を卒業した翌年、パラナ州コンテンダ市で日本人が経営する農場に入ったが、半年ほどで農場が倒産し職を失った。幸いポルトガル語を教わっていた先生の仲介で、71年からクリチーバ市役所で働くことになった。

 市役所では造園の知識を活かして公園や街路樹づくりに携わった。砂の採掘場だった場所に貯水機能をもつ公園を整備した際は、中村さんの発案で穴を活用して大きな湖を造った。

 79年、レルネル市長に実績を買われた公園部長に抜擢される。中村さんは「公務員は現状を維持したがる。僕の場合はどんどんやりたかった。それがレルネルさんとあっていた」と話す。

 以降、中村さんは次々と公園作りに着手。車道を歩道に変え、空間に公園を作った。40ヘクタールの広大な公園や動物園の設計も手がけた。

 90年代は、世界から注目を浴びた「ゴミ買い」事業で大きな役割を担った。ファベーラは道が狭くてゴミ収集車が入れない。そこで、住民にゴミを集積場まで持ってこさせ、野菜と交換した。90年代に約80カ所で行われた。これは現在も続く。

 中村さんが最も苦労したのが「休日に部下を働かせること」だった。劇場を3カ月間で作るために、どうしても働いてもらう必要があった。

 ブラジル人は家族と過ごす時間をなによりも大切にする。案の定、職員からは不満の声が噴出した。中村さんは「劇場ができたら市民が喜ぶ。君らの家族も誇りに思うはずだ」と説得し、なんとか期日に間に合わせた。

 「針金オペラ座(Ópera de Arame)」と名づけられたこの劇場は92年に開館し、テレビなどのメディアに多く取り上げられた。ガラス張りの概観が美しく、25年以上経った今もクリチバの名所として観光客を呼び寄せている。市民と家族から好評を得た職員は以降、休日出勤に協力的になった。

 ゴミ買い事業で同市は1990年に国連環境計画賞を受賞、92年にリオで開催された世界環境サミットでも表彰を受けた。一連の都市政策は高い評価を受け、96年には第2回国際連合人間居住会議で「世界一革新的な都市」として表彰された。

 公務員らしくない独創的なアイディアで、市民生活を豊かにしていった中村さん。現在は自身が創立した環境市民大学で教壇に立ち、市民や観光客を相手にするタクシー運転手などに講義を行っている。

 

 

 

□大耳小耳□関連コラム

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 ゴミ買い事業を始めたとき、中村矗さんは一人でファベーラに入り、住民たちに説明したという。土地を不法占拠している住民たちにとって市役所は敵対する存在で、誰もその役を担いたがらなかった。中村さんは「ゴミを拾って綺麗にしましょう」と言わず、「ゴミを買います」と言い続けた。「『買います』と言えば自分のためになると思って一生懸命やる。言い方をちょっと変えるだけで結果が全然違う」と話す。「地域事情をわかっているリーダーに任せたほうが威厳が保たれるしスムーズだ」と考え、地域のリーダー格にゴミ回収の呼びかけや野菜の分配を任せた。これが功を奏した。ブラジル人心理への深い理解なくしてできない貢献だ。

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 中村矗さんに「日本人だから苦労したことはありましたか」と尋ねると、少し考えた末、「無かった」と答えた。日本人は真面目で勤勉だと思われていてむしろ好意的に思われていたという。また「ゴミ買い」についてファベーラ住民に説明する際は、中村さんの日本語なまりポルトガル語を注意深く聞いてくれたという。「むしろ、良いことのほうが多かった」と笑った。ブラジル人の中に飛び込んで、日本的な発想を仕事に活かした中村さんの積極的な姿勢あってこそのエピソードだ。