日本で民謡を勉強したあと、ドイツでオペラを学んで両立させている変りダネがいる。5日にサンパウロ市で行われた郷土民謡全伯大会に出場していた江田グスタヴォさん(三世、32)=ドイツ在住=は17歳から民謡の世界に入り、流暢な日本語を話す。「オペラを唄った後に民謡を披露すると、聴いていた人が必ず驚いた顔をするのが楽しい」と茶目っ気たっぷりに笑顔を浮かべた。今年12月には東京都下北沢で大学院友人らとコンサートを予定している。
江田さんは民謡とオペラを両立させることに関して「どんな様式でも声の源は一緒。口のフォームやどんな声色を作るかが違う」と説明する。民謡の特徴については「マイクがなかった時代、音楽的なアピールはいかに複雑な節回しを披露するか。内容は自然や生活を伝えるもの」とし、「オペラはいかに会場を自分の声で満たすか、究極の感情表現でもある。いかに作品の感情を伝えるかが大事」と説明した。
江田さんは元々、ミナス州ペロ・オリソンデ文協のカラオケグループに所属していた。そのメンバーの一人、棈木(あべき)幸一さん(82、鹿児島県)の誘いで、なにげなく民謡をはじめた。
それまで江田さんは、母の影響でクイーンやローリング・ストーンズなど欧米のロック音楽に親しんでいた。ところが民謡を聞いてみると、その複雑な節回しに惹かれはまっていった。「幼い頃から世界の民謡に興味があった」と振り返る。
棈木さんから尺八を与えられ、インターネットを駆使して譜読みや持ち方など独学で演奏法を身につけた。掲示板やプロ奏者のHPから質問を送り、わずか一カ月後には「黒田節」が演奏できるまでになっていた。
地元大学のデザイン学科に入学したが、すぐに中退。海藤司さんの下で三味線を学び始め、08年には本格的に民謡を学ぶために訪日。通訳の仕事を知人から紹介してもらいながら民謡漬けの日々を送る。神奈川県相模原市では小木田秋声(おぎたしゅうせい)先生に住み込みで師事した。
09年に帰伯した江田さんは、翌10年に地元ベロ・オリゾンテであった音楽大会で民謡を披露した。その時、たまたま居合わせたミヒャエル・ゲルケさんに誘われ同州連邦大学で声楽を学ぶことに。14年に卒業後、ドイツへ渡り、ワイマール・フランツリスト音楽大学大学院で演奏や声楽などパフォーマンス研究をしている。現在では約30カ国の民謡を唄うことができるという。
今もドイツ在住で、民謡やオペラ関係のイベントで世界各国を行き来している。16年に福島県で開催されたコンサートに参加した際はオペラやクラシック音楽を披露した後、新相馬節を三味線で弾き語り、会場一体となって合唱したという。