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自分史=私のシベリア抑留記=(31)=谷口 範之

 ラーゲリ到着後、塩汁や高粱汁で耐え続けた兵らは、たまりかねて所内の枯草を食い空腹を押さえていた。小之原は日本の兵隊が枯草を食うのは見苦しいと言って、枯草を引抜かしてしまった。私たちは命の綱にも等しい枯草まで絶たれた。
 自分は腹一杯食っているにも拘らず、塩汁だけの兵には、平然とそんなことをして、恥じるところがなかった。
 小之原と野間を除く三人の将校と一人の見習士官は、部下に対して同情心を抱いていることは分った。そして同じ階級の将校でも、先任、後任の間で厳然と階級秩序があることも、この事件を通じて分ってきた。
 現状を変えるには、私をはじめ全員の半数以上の意識を変える以外に方法はなかった。が、それは不可能に近いことであった。
 一〇〇%やる気を失った私は、同情を示してくれた三人の将校と一人の見習士官に、大変悪いと思いながらも次の朝職務を放り出して宿舎へ戻った。僅か数日間で旨味のある仕事を失ったが、後悔はしなかった。小之原は私が将校宿舎の食缶を盗んで食ったと噂を流した。しかし当時、幹部候補生同期の中島が将校宿舎の当番として毎日通っていて、あの翌日食缶がないことを報告すると、ゴミ捨て場に食缶ごと捨てたと返事が返ったという。
 彼は宿舎に帰ってそのことを隣りの戦友に話し、全員に事実が伝わるまで何日もかからなかった。だがあの情況下では、私が一口も食っていないと触れ回っても、食缶を持ち出しのは事実だからだれも本当にしなかったに違いない。実際は食缶を持ちだしたが、食う時間がなかっただけのことである。

  五、謀殺されそうになる

 将校が食料を横領して遊び暮らし、部下は衰弱して死に至っている事実を記し、帰還の暁には告発してやるとまで書いた手帳を取りあげられた。私は確実にブラックリストに載せられているに違いなかった。なのに、私を軽症患者の管理に指名してきた。宿舎でごろごろしているより、倍以上の食物をありつける役得に就けてやれば、私が軟化すると考えてのことかもしれなかった。だが、股肉一本を独占し、部下には一片の肉切れも与えず、犬猫のように骨のコマ切れを粥に混入させて支給した。
 堪忍袋の緒が切れた私は、将校用食缶を持ち出して、糞便の上に置いた。将校たちはラーゲリに入って、初めて一食抜きを味わった。小之原は怒って、私に暴力を振ったが、私は屈しなかった。かえって将校群六人のうち四人までは部下に同情していることが察知できた。そして小之原は先任であることを笠に着て、他の五人を自分の指示に従わせていたのだ。とは言うものの将校全員の罪は変らない。
 無断で勤務を放棄した私に、将校は何一つ文句をつけてこなかった。点呼にも出なかったし、毎日何もしないで、将校を無視した。
 四温の暖い日差しにさそわれて宿舎を後にした。誰だったか覚えていないが、宿舎でお前を呼んでいるぞと伝えに来た。
 宿舎に戻ったが誰もいない。眼は自然に自分の雑嚢を探していた。いつもの場所に私の雑嚢は見当らない。誰の雑嚢も同じように汚いが、自分のものは判別できる。数回見直したが無かった。外に出て三重の柵を何気なく見た時、内側と中央の柵の間に雑嚢がころがっていた。