パラナ州ロンドリーナでかつて〃日本人街〃と呼ばれていたセルジッペ街――戦後の急速な発展に伴い、最盛期には日系人が2千世帯を超えた同地も、今では日系商店がわずか2、3軒に。そんななか最古の日系人商店「バザール味村」は、今年で堂々たる創業70年の節目を迎えた。
店内はどこか昔懐かしい日本の雰囲気を漂わせる木作りで、今では珍しい木製のショーケースに商品が几帳面に陳列され、隅々までこぎれいに手が行き届いている。裁縫具から既製品に至るまで、幅広い日用雑貨が取り扱われる。
現在の店主は、三代目の味村忠昌さん(78、二世)。二代目のトキ子さん(100、山口)は、百歳でありながら毎日店頭に立ち、出入りする客を静かに見守っている。今でこそ足腰が弱くなったトキ子さんだが、3年前まで接客に立っていたというから驚きだ。
初代店主の故・靖さんは家族とともに、1930年頃にパウリスタ線サンターナに入植。北パラナの急速な発展とともにロンドリーナに転住し、1948年に開店した。その後、同郷人から土地を購入、57年に現在の場所に店舗を構えた。
商店を開く前まで、百姓をしていた一家。「男も女も大差なく、家族が一緒にできる仕事を」との靖さんの思いから、「バザール味村」は始まった。既製服がまだ一般的に流通していなかった戦後は「布や糸など裁縫道具がよく売れた」という。その後、日用雑貨などに取り揃え、徐々に商品を増やし、現在の形になった。
同街は70年代までに全盛期を迎えるが、80年以降の経済不況、デカセギ・ブームが拍車をかけ、日系商店が次々に閉鎖。今年に入り、長年経営していた日系呉服屋もついに閉店を決めた。今では土地を持って、自ら店を経営する日系商店は同店のみと見られる。
忠昌さんは「時代の流れには逆らないね」と諦観するも、「いつだったか母さんに『店を貸したらどうか』と聞いたら、『バガブンドになったらいけない』と喝を入れられた。母さんの目の黒いうちはしっかり働かないと。いずれは息子に引継いでもらいたいけど、まだまだ頑張らなきゃ」と笑い飛ばした。
めまぐるしい時代の荒波に揉まれ、創業70年を迎えた「バザール味村」。創業者の思いを引継ぎ、住宅を兼ねた商店を家族で経営してきたことが、老舗になった秘訣なのかもしれない。
大耳・小耳
味村忠昌さんによれば、山口県岩国市出身の祖父・靖さんは、日露戦争の勝敗を決した日本海海戦で、バルチック艦体を撃破した東郷平八郎と同じ艦船にボーイとして乗船していたという。「祖父は条件のよいボーイの募集を見つけ、戦争に巻き込まれるとは露知らずに乗船した。かの有名な東郷ターンでの戦闘の最中には、船底で弾や負傷した兵隊を運んだ。敵軍を撃破し、いざ船上に上ると『蟻の巣に水をさしたように、沈没する軍艦から露兵が次々とよじ登る姿が忘れられない』とよく話していたのが記憶に残っているよ」と饒舌に語った。