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自分史=私のシベリア抑留記=(34)=谷口 範之

 鳥の鳴声もなく、深い静寂がたちこめている中にたった独りでいると、冬枯れの林が私を見守ってくれているような錯覚を起す。逃亡は今だ。誰もいないと、ささやく声がした。見回したが誰もいない。冬枯れの樹々ばかりである。手に持った黒パンの匂いに、幻聴だったと我にかえった。
 大木の切れ端を起す。直径八〇㎝もある。パンは捕虜用と違い食パン型で薄い黒色である。酸味は薄く、思わず半分も食ってしまった。
 斧を取り薪割りにかかる。伐採時に樵から教えられた通りに、端からそぐように斧を打ちこむと簡単に割れる。半分ぐらい割った頃、ジープが迎えに来た。彼は薪の量を見て、少しだけ不満の表情をみせたが何も言わなかった。

   軽作業の三
 二棟目の兵用宿舎には、寝たきりではあるが、用便は自分でできる回復期の患者を集めている。その前の死体安置用に使っていた小舎に並んで、同じ大きさの小舎が組みあがった。その小舎の当番につくようにと指示がきた。通訳によると、シラミ退治を兼ねる、衣服の滅菌消毒用の小舎で、薪を燃やし衣服が焦げないように見守る仕事だという。
 小之原は引続き私への懐柔を図るようである。
 朝、外側の焚口に薪をいれて火をつける。持ち込まれる衣服を内部の横棒に吊ると、その後は火を絶やさないようにまた衣服が焦げないように注意するだけである。小舎の中は暖かく壁にもたれて居眠りをむさぼった。
 二日目のことである。宮崎県から来た同年兵の浜田が、話したいことがあると言って小舎に来た。彼とは同じ機関銃中隊にいたが、内務班は別であった。私は候補生だけの班にいたし、彼は一般兵ばかりの第二班にいたから、顔見知り程度で話し合ったこともなかった。
 彼は上衣の下から黒パンを取出すと、これを預ってくれと言った。預かるのが当然だといいたげな、横柄な口のききようである。
 毎金曜日のパンの運搬使役で、せしめてきた様子である。彼はただ預ってくれというばかりで、実情を明かそうとはしなかった。浜田の横柄な口のきき方と事情を告げない頼み方に、ひどく見下げられていると感じた。預ってやるが、あとで文句を言うなよと念を押した。彼は言わないと応じた。パンを小舎の奥に押し込んだまでは良かったが、時間が経つにつれて、鼻をくすぐるようないい匂いが充満してきた。
 預って三日目には、パンは私の胃袋に納って姿を消してしまった。
 その日の夕方、浜田がパンを出してくれとやって来た。私はただ一言、もうないと言った。彼はなんとも言いようのない表情になり、何も言わないで帰った。泥棒の上前をはねるのではなく、全部取上げたのだから、後味は悪かった。滅菌消毒の仕事は四日ほどで終った。
 パンについては、もう一つ忘れられない思い出がある。
 浜田がパンをせしめる前の金曜日の出来事である。同期候補生(歩兵)の岡本はパン運搬使役に出た。彼がせしめたパンは、たまたま将校用の白パンであった。炊事班の奴らは、将校用のパンを別の場所に保管するために、叺を開けて調べたところ一コ足りなかった。その叺を持参した岡本を調べると、懐から白パンがあらわれた。取戻すだけで放免してやればいいものを、炊事班の奴らは将校に忠義立てをし、岡本を泥棒呼ばわりして小之原の前に突き出した。