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自分史=私のシベリア抑留記=(35)=谷口 範之

 岡本は空小屋に二日間も放りこまれた。解散したはずの軍なのに、小之原の強圧的な暴挙に、ますます怒りを覚えた。岡本はよく耐え、三日目に宿舎に帰ってきたが、以後人が変ってしまって誰とも口をきかなくなった。
 私が四月末にラーゲリを出発する頃まだ元気でいたが、あれ以来会っていない。生還しただろうかと、いまだに気に懸っている。

   軽作業の四
 滅菌消毒がすんで数日後、ソ連兵舎の食料倉庫の掃除と整理の使役に行ってくれと指名してきた。仲間を一人連れて行くようにとおまけがついている。
 小之原は謀殺に失敗して以来、懐柔策の方針を変えない。他の連中を指名しないのだから懐柔策としか見えなかった。仲の良い候補生を一人誘った。食料倉庫の掃除と整理なら、役得にありつけそうだ。さもしいようだが、生き延びるためには選り好みは禁物だ。期待感一杯でソ連兵の兵舎へ行った。
 兵舎の中央を廊下が通っている。その中央当りに地下室への蓋があった。蓋をとって梯子をおりると、狭い通路の両側の棚に数種類の箱が乱雑に置かれている。
 大箱、細長い箱、小さい四角な箱、ジャガイモ、キャベツ、米の袋などが所狭しと入り混じっていた。先ず重い袋物を品目別に奥へ移す。箱物はUSAの大文字が印刷されていた。大箱は重く、一箇所にまとめて置くうちに落ちて中味がころがり出た。白色で細長い形のものが透明な紙に包まれている。
 手に取るとねっとりした油質である。なんとなく肉らしい匂いだが、こんなに白い肉は見たことがない。眺めていると戦友が寄ってきた。
「肉らしいがよく分らん」
 二人は顔を見合した。こんな時は以心伝心である。それぞれ一本づつ、ズボンの内側に挟んだ。脚絆を巻いているから、膝より下にずり落ちる気遣いはない。四角で小さい箱もUSAとある。開けてみると茶褐色の粉が透明な小袋に入って、びっしりと詰っていた。何だかよく分らないが、食物に違いないから二袋づつポケットに納めた。
 整理が終りゴミを掃き出すと、見違えるように奇麗になった。ついでにマッチと古新聞を拾い集め、折りたたんで上衣の下に隠した。カンボーイ(監視兵)を呼んで終ったと告げる。彼は昇降口から倉庫内を覗き、
「オーチン ハラショ」(非常によろしい)
 と、褒めてくれた。
 宿舎に変えると小石、土、木切れを拾い集めた。そして隣りの回復期患者(重症を脱した病人)ばかりを収容している第二棟に持ちこんだ。
 ここで煮炊きしても起きあがって見に来るほどの、元気のある連中はいない。みんな静かに横たわっているだけである。奥側の小窓の下を占領し、床上に小石を敷きその上を土で覆った。この上で火を焚けば床が焼ける心配はない。
 長い小枝三本の先を針金で括ったものを二組作り、下方を開いて両端にたてる。太目の枝に飯盒を通して掛ける。食料庫で拾ってきた古新聞と木切れを、敷いた土の上に置きマッチで火をつける。
 戦友はガラスの破片で、肉らしい白いものをゴシゴシ切った。小さい焚火の上の飯盒が熱くなり、白い肉片を飯盒に投げこむ。牛肉でないことは確かである。いい匂いが流れてきた。戦友は油で光っている両手をズボンにこすりつけながら、咽喉をゴクリと鳴らした。