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特別寄稿=散り際の美学=<2>=サンパウロ市在住 脇田 勅

 福岡に着いたのは、暮れも押し迫った十二月十七日でした。福岡空港で旧知の三京運輸(株)の深江信男オーナー社長と、海外移住家族会甘木地区の小島久雄会長の二人と再会し、レストランに直行して夕食を共にしました。その席でわたしの訪日の目的を話しますと、二人から、せっかく知事と会うのに表敬訪問だけではもったいないという話が出ました。
 この二人はブラジルに何度も来て、ブラジル福岡県人会の会館が狭苦しくて古くなっているのも知っているのです。それで、この機会を逃さず、知事に新会館建設の補助金を申請しなさい、ということになりました。この二人から決断を迫られ、その熱意に負けて遂にわたしも補助金申請の決断をしました。
 決断はしたものの、これは大変なことになったと思いました。県庁への就任挨拶ということでブラジルを出発し、日本へ着いた途端に新会館建設のための補助金申請へと変わったのですから、ひょう変もいいところです。しかもわたしの独断です。
 翌日の二十八日は近所の先輩であり、また大学の先輩でもある西日本新聞社の福田利光社長を表敬訪問する予定にしていました。福田社長とは二年前にサンパウロで初対面をしておりました。その時、彼はわたしの生家もご存じで、わたしの実家に声が届くくらいの近所であることも知りました。その上、福田社長はわたしが学んだ大学の先輩であることを知って、大変親近感を覚えました。
 このような事情から、福岡へ着いたら先ず福田社長にご挨拶しようと考えていました。このことを深江社長と小島会長に話しますと、「それは好都合だから、明日福田社長に会われたら〝母県にブラジル県人会の新会館建設資金二億円の補助金申請と、財界の協力を仰ぐために来ました〟と言いなさい。新聞に載って既成事実化すれば、そのあと動きやすくなりますよ」と、二人とも異口同音の意見です。
 予定通り二十八日に福田社長に訪日の挨拶に行き、前日の二人の意見どおりの話をしました。それが翌日二十九日の新聞に掲載されました。『新会館建設に協力を』という見出しに、サブタイトルが『脇田在伯県人会長が来福』と、わたしの写真入りです。そして、わたしが説明した『県人会の現状を記した上で、亀井県知事や瓦林潔九経連(九州山口経済連合会)会長など財政界人と会って協力を要請する…』と報道されました。
 こうなった以上、後戻りはできません。新会館建設に向かって突き進むだけです。そしてこれは会長たるわたしの独断専行ですから、ブラジルに帰って理事会が新会館建設案を承認しなかったら、わたしは潔く自分の独断専行をお詫びして切腹するだけ。そのように腹をくくりました。
 年が明けて一九八三年一月五日に亀井光・福岡県知事を表敬訪問しました。わたしはブラジル県人会の現状と新会館建設の必要性を説明して、二億円の補助をお願い申し上げました。知事はこころよく「検討しますから、青写真を持ってきてください」と、そばにいた県の総務部長が驚くほど大変好意的な返事をもらいました。わたしと同席した深江社長と小島会長も大変良い感触を得たようで、「これなら県から金が出ますよ」と喜んだ程です。
 翌日、深江社長と小島会長、そしてわたしの三人で夕食を共にしながら、今後の対策を協議して、次のような結論を得ました。
(1)県に二億円の申請をしても、出るのは恐らく一億円が限度だろう。建設資金に二億円が必要なら、残りの一億円は別途に調達しなくてはならない。
(2)その不足分の資金は、まず財界から寄付してもらう。そのためには福岡というより九州財界の大御所・瓦林潔さんに会って、お願いしなくてはならない。この人は九州電力会長兼九州山口経済連合会の会長。この人に会うのは簡単ではないが、もし会うことができて「協力する」と言ってくれたら、五千万円ぐらいは財界から集まるだろう。(つづく)