暴力を扇動する発言を多発するボルソナロ大統領候補が、暴力によって口を封じられる姿に、自然界の摂理を感じるのは、コラム子ばかりではないだろう。選挙戦が始まって2週間経つ。国民の大半にとって、理想的な候補がいないなかで、消去法で誰に投票するかを選ぶしかない選挙のようだ。そんな大統領候補者の中で、誰も「ブラジル独立200周年にこんなことをやりたい」と言う発言を聞かなかった。今回当選した本人が、任期の最後の年に華々しく200周年を祝うことになるのにだ。
世界から注目されるだろうし、ブラジル近代史においても重要な節目だ。だが、若い国だけに歴史にあまり関心がないようだ。そんな歴史に重きを置かない国民性が、リオの国立博物館火災を起こしたのだと思わざるを得ない。
サッカーW杯で使うマラカナン・サッカー場を120億レアル(17年3月13日AFP報道によれば、うち2億1100万レが水増し請求分)という大金を投じて改修、リオ五輪開催にも天文学的な投資をした。
それらに反比例して、200年分の調査資料が詰まった国立博物館の予算は激減した。ただでさえ桁違いに額が小さいのに、13年の130万レアルから17年の66万5千レアルへとほぼ半減だ。
たとえ大統領候補が考えないとしても、日系社会としては110周年の次に取り組む目標として独立200周年を据え、もう準備を始めてもいいのではないか。立派な何かを残せれば、ブラジル社会への良い貢献になる。
これには前例もある。イタリア系コロニアは1918年、独立100周年を記念した巨大なモニュメントをサンパウロ市に寄付した。市立劇場とアニャンガバウー広場の間にあるモニュメント群だ。
当時、ブラジルを代表するオペラ作曲家だったカルロス・ゴメス。その銅像を中心にして噴水池をつくり、周りに計12体の銅像を配置した「栄光―希望の泉(Fonte dos Desejos – Glória)」だ。同作曲家がイタリアで発表して大成功をおさめた代表曲オペラ《グワラニー族の男 Il Guarany》などの作品群の中心キャラクターを表現した。
しかも、このモニュメントを製作したイタリア人芸術家ルイジ・ブリゾララ(Luigi Brizzolara)は、ローマで有数の観光名所として賑わっている「トレビの泉」をモデルとして噴水を作った。つまり、イタリア系コロニアは独立百周年のシンボルとして、国家アイデンティティに関わる真のブラジル文化を作り上げようとした天才作曲家をテーマにして、イタリア的な表現方法でモニュメントを作った。
ちなみにこの銅像群がある「ラモス・デ・アゼベード広場」は、市立劇場を設計した当時を代表するブラジル人建築家の名だ。今でもサンパウロ市の絵葉書として知られる市立劇場のすぐ横に、ブラジル音楽界を代表する人物をテーマにしたモニュメントを作ったことにセンスの良さを感じる。
さらにシリオ・リバネース・コロニアも、同じく100周年を記念して「シリオ・リバネース友情モニュメント(Monumento Amizade Sírio Libanesa)」を寄贈した。場所は彼らが今も強い影響力を持つ3月25日街の始りにある広場(Praça Ragueb Choh)にある。ただし7日に写真を撮りに行ったら、浮浪者の巣窟になっていて、とても近づける雰囲気ではなかった。落書と破損で目も当てられない状態だ。
「希望の泉」の方も、実は昨年中ごろまで同じようなヒドイ状態だった。両方とも市に寄付され、市文化局の管理になっていたからだ。ところが昨年イタリア系コロニアが約450万レアルを負担して、市が改修工事をした。それから本来の美しさを取り戻している。それに気を良くしたドリア前市長が「日系コロニアも同様の投資をリベルダーデ広場すべきだ」と強く迫っていたのは記憶に新しい。
日系コロニアも1954年、サンパウロ市創立400周年の時にイビラプエラ公園の日本館を建設・寄贈した。文協が管理しているからいいものの、市文化局が運営していたら廃屋になっていた可能性がある。
移民120周年はまだちょっと遠い。だが、4年後はそんなに先ではない。4年後を目指して日系社会が力を合わせ、ブラジル独立200周年を記念した素晴らしいモニュメントを、リベルダーデ広場にプレゼントしてはどうか? 字を刻んだ記念碑ではなく、鳥居に匹敵するようなインパクトのある新観光名所、芸術的なモニュメントだ。ブラジル社会全体に「日系コロニアがプレゼントしてくれた」との良い評判が残るようなものがいいのでは。(深)