ホーム | 文芸 | 連載小説 | 私のシベリア抑留記=谷口 範之 | 自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(42)

自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(42)

 (註=一九九二年五月末、この丘の大穴の埋葬地に墓参した時、あの松群を真っ先に探した。あった! あの時より成長していて、倍以上の高さになっていた。
 思わずそのことを言うと、五〇年近い年月が過ぎているんだよ。うんと伸びているはずだから違うな」と反論した人がいた。私が四七年前に見た松だと確信したのは、出発前に読んだ新聞記事を覚えていたからであった。要約すると『シベリア凍土の樹木の生長は、温暖多湿な気候の日本と比較すると、五〇分の一ぐらいである。つまり日本の樹木の一年間の生長は、シベリアの凍土では五〇年を要する』
 私はあえて反論しなかった。彼は日本の常識を根拠にして発言しただけのことである。この問題は、はるばるやって来た墓参とは関係ない事柄であったから)


  一三、ラーゲリから脱出 
  
 五月末、風はまだ肌を切るように痛い。
 ソ連の軍医が二人来て、身体検査をするという。亡者のようにやせ衰えた捕虜の裸体が、次々に後姿を軍医に向けて立つ。軍医は尻を見ただけで、自分の後方へ、右と左に分けて押しやっている。
 比嘉伍長も私も、右のグループに選り分けられた。服を着ながら検査の様子を眺めた。左側は尻の割れ目が几型、右側は人型に近いもののようである。
 家畜並みの検査だ。何のためだろうと考えていると、比嘉伍長がそばに来た。
「健康体とそうでない者に分けているようだ」
「冗談じゃないよ。薄粥を少しばかりすすらせておいて、健康体もへったくれもあるもんか」
「隣の連中を見ろよ。病み上がりばかりで、骨に皮がくっついている。谷口よ、悪いことは言わん。隣へ移れ」
 彼は私を隣のグループへ押しやった。咎める者はいなかった。
「比嘉さんも来いよ」
「俺はお前と違って頑丈にできている。すぐにばれる」
 彼は鍛えあげた下士官だ。病み上がりとはいえ、上背はあり胸も厚い。彼に比べると私は小柄で細身である。
 検査が終わった。向き直った軍医は比嘉伍長の方のグループに、
「解散してよろしい」
 私が紛れ込んだグループには、
「所持品を持って衛兵所前に集合。トラックが待っているからすぐに乗車せよ」
 と、言うと帰り支度をはじめた。
「比嘉さん世話になったな。いつかまた会えるといいがな」
「元気でやれよ。俺の故郷沖縄は全滅したらしい。兄弟の誰かが生きていてくれるといいんだが…」
 彼とはそれきり会うことがなかった。もし彼との出会いがなかったら、私の運命はどうなっていたか分からない。

 (註) ソ連の文献に労働適性検査という制度が記載してあった。四段階に分類してある。
    第一カテゴリー……重労働適合者
    第二カテゴリー……軽労働適合者
    第三カテゴリー……室内の軽作業適合者
    第四カテゴリー……要保護の病弱者