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《人類が滅んだ昼にロボットも空を眺めて伸びをするかな》

第70回全伯短歌大会の様子

第70回全伯短歌大会の様子

 《人類が滅んだ昼にロボットも空を眺めて伸びをするかな》(天野まゆみ)―第70回全伯短歌大会の折、「コロニア短歌らしかぬ空想科学小説(SF)的な作品だ」と首をひねっていたら、選者の上妻博彦さんが鑑賞批評の中で「なんと現代的な短歌かと思っていたら、孫の作品でした。私が短歌を薦めたら、こんなのを作ってきた。ブラジル生まれで日本育ち。漫画世代の短歌だ」とタネ明かしをした。
 短歌ド素人のコラム子からすれば「これは傑作かも!」とビックリするような一首だ。在日世代に秘められた恐るべき可能性を感じる。日系短歌界に素晴らしい異才がデビューしたと言っていいのではないか。
 これは、大会で高い評価を得ていた《人がみな人工知能に裁かるる恐ろしき世の来ぬを祈りぬ》(富岡絹子)より、もっと先の時代を詠んだものだ。
 人工知能ロボットが世界を支配して人類を滅ぼした後、目的を達成という脱力感に襲われている様子を詠んだものだろう。自分を生み出した人間を殺しまくった後に訪れる、虚脱感という人間譲りの感情…。ある意味、正統派SFの世界観を短歌にしたものでは。
 かと思えば《百十年の移民の歴史その中に名も無き吾も小さな足跡》(内谷美保)とか、《連れ添うて苦楽を共に半世紀財はなさねど満ち足りた日々》(松本正雄)という超正統派のコロニア短歌も健在だ。人に言えない苦労をのり越えて、ようやくたどり着いた自分なりの到達感という移民の境地が込められている。
 選者の小野寺郁子さんは「大小を問わず、尊い足跡。起伏に富んだ時間を過ごしてきた移民による、控えめな自負が詠みこまれている」と評したのを聞き、まさにその通りだと思った。
 作品を解釈することも、一つの芸術だと感心したのは、瀬尾正弘さんのコメントだ。
《特攻も梯子外され卒寿すぎ生きる世間の難しさ知る》(田口光之助)という作品に対し、「特攻を決意していた若者にとって、日本がポツダム宣言を受諾したことは『梯子を外され』た心境。いったんは死を覚悟した者にとってすら、戦後を生き抜くことは難しいことだった」との評を発表したのを聞き、目からうろこが落ちた。
 つまり「死を覚悟するよりも生き続けることの方が難しい」ということを体験的に語っていると解説した。なるほど味わい深い。
 さらに《百十年風化同化の顔見せてネグロの川はせかず混ざりて》(竹内良平)という作品に、梅崎嘉明さんが「一篇の小説に劣らない深遠なものを詠みこんでいる」と評するのを聞いて、頭を殴られたように驚いた。
 自分で読んだときはまったく、そんな解釈がわかなかったからだ。
 梅崎さんいわく、「これはアマゾンの、ネグロ川とソリモンイス川の合流地点が何キロにも渡って混ざり合わずに流れつつも、最後にはゆっくりと溶け合っていくという壮大な叙景描写に、日本移民がゆっくりとブラジルに同化してきた歴史を重ねたもの。同化しない民族と言われて来た日本移民の歴史を、『移民史』という言葉を使わずにアマゾンの叙景描写によって表現した」とのこと。解釈の鮮やかさに「ほう~」と感心した。
 アマゾン関係の作品では《アマゾンに三年住めば猿になる住めば都で猿にもなれず》(下小薗昭仁)にはニヤリとさせられた。作者はアマゾン川河口の街、人口150万人のパラー州都ベレンに住んでおり、まさに大都市。終戦直後までコロニア知識人の一部で言われていた「アマゾンに三年住めば猿になる」という言葉を、ユーモラスに揶揄している愉快な作品だ。
 大会当日の最高齢は古山孝子さんで98歳、なんとこのためにオーリーニョスから出聖した。「13歳の時、1933年10月14日神戸出港、11月29日サントス着でした」と記憶も素晴らしい。「50歳で短歌を始めた」というからもう48年だ。「五七五七七に自分の気持ちを込めるのが飽きない、面白い」とほほ笑む。
 俳句もそうだが、移民大衆の心情を文字にして残すのにこれほど適したものはない。技術的な上手い下手ではなく、どんな気持ちが込められているかが移民短歌の真骨頂ではないか。
 主催者である椰子樹社代表の多田邦治さんは「全伯で行事多しといえども70回を数えるものはほとんどない」と継続の貴重さを痛感していた。減る一方の参加者の流れから、大会前日まで内部では来年の第71回大会の開催が危ぶまれていた。
 でも多田さんが今大会の最後に「やっぱり来年もやりましょう。皆さん来年もぜひ参加してください」と呼びかけていたのを聞き、「新聞社も頑張って生き残らなくては」と背中を押された気がした。(深)