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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(56)

  九、天罰覿面

 欲の皮が突っ張って、その日の夕方から下痢が始まった。天罰覿面とはこのことか。下腹が痛み便所通いの回数が増えていく。薄粥に慣れきっている胃袋が、だしぬけに固い飯を飯盒二杯と炒りトウモロコシを、一度に送り込まれて驚き拒絶反応を起こしたのだ。
 幸い宿舎のすぐ隣が共同便所で助かった。三日目の夕方、便所に行こうとして戸外に出た。今日はやけに暗いなと感じ、すぐに変だと思った。 
 山の稜線の上側に入日の残照がほの明るく見分けられるのに、稜線より下方と宿舎までの辺り一帯は、どちらを向いても真っ暗で何にも見えない。隣の戦友を呼んだ。彼は鳥目だよ、といいながら私の手を曳いて便所へ往復してくれた。夜中も厭な顔もしないで、付き合ってくれた。
 五日目に病舎に移された。病舎と名前はつけてあるが、下痢患者を一軒の家に集めただけである。医者が診察に来るわけでなく、薬も全然ない。畳を取り去った跡の床板の上に、ボロ毛布をまとって、横たわっているだけである。
 日に十数回も便所に通うようになり、発熱していた。急速に衰えてゆく自分を他人事のように眺めていた。夜間から朝方に掛けての冷え込みは、特に体にこたえた。ふいに、ゲンノショウコのことを思い出した。薬草など日頃から縁がないために、すっかり忘れていた。枕もとの雑のうに、括りつけたままであった。
 水筒にゲンノショウコと水を入れ、小さな焚き火をして煎じた。熱くなった水筒を下腹部に当てて暖め、冷めると飲んだ。ゲンノショウコがなくなるまで下腹を暖めては飲みつづけた。少しずつ下痢と腹痛が治まってくる。そう感じ始めてから回復は目に見えて加速した。それまでは枕元に置かれる薄粥にも食欲がなくて、そのまま放っていると誰かが飯盒を空にしてくれた。
 その夜寒さに震えていると急に激しい腹痛が襲ってきた。体をくの字に曲げて耐えたが、とうとう存分に袴下とズボンを汚してしまった。
 汚れが冷えてきていたたまれない気分になった。着替えはなく、どうしようもない。この調子では、あと何日生きていられるのだろうかと、不安が先にたった。汚物に塗れたまま死にたくないと思った。
 ごくたまに、一口か二口の粥をすするだけで、その外は水を飲むぐらいのことなのに、呆れるほど下痢が続き、ようやく四、五回まで回数が減り、落ち着いた気分になっていたのが、今の下痢で一度に気持が萎えた。
 兎に角、汚れを綺麗にしようと考えた。宙に浮いたような気分であったが、裏口の水道栓へ行った。下半身裸になって汚れを洗い流し、袴下とズボンについた汚れも、ざっと洗い流した。不思議に水の冷たさを感じない。体中の感覚が鈍くなっているようだ。下半身裸のまま毛布にくるまった。
 次の日から下痢の回数が目にみえて減ってきた。日に日に回数が少なくなり食欲がついてくるのが分かった。それがどうしてなのか分からなかった。                
 一週間も過ぎる頃には、私は手をつけない他人の薄粥を啜っていた。ゲンノショウコが効いたのだとはじめて気付いた。