「南米にはないと思われていたキリシタン版『日葡辞書』を9月17日、リオ国立図書館で発見しました」――5日、サンパウロ州立総合大学(USP)東洋学科の田代エリザ准教授と信州大学の白井純准教授が来社し、そう語った。「キリシタン版」とは1600年前後に長崎でイエズス会が発行した書籍の総称で、40点以上出されたと言われる。中でも日葡辞書(Vocabvulario da Lingoa de Iapam)は当時の日本語を知るうえで非常に貴重な第一級資料といわれ、世界で3冊しか現存しない。それが、今回4冊目がリオで発見された。
「ちょっと見てください」と白井准教授のノートバソコンの画面を見ると、同辞書の写真があった。「Abaraya」(あばら家)という項目には「Casa Velha」(古い家)とポ語で説明されていた。1603年に長崎で印刷・出版された辞書の言葉は今でも通じる。このような単語が3万2千語も収録され、しかも日本語での用例付きなので、当時の言葉使いがローマ字で分かる。日本語研究には欠かせない文献だ。
白井准教授は、国際交流基金の助成で1カ月半、USP大学院研究科にキリシタン資料に関する短期講義をするために客員教授として来伯中。その招聘手配をした田代准教授も日本言語学史研究者で、一緒に調査に行き今回の発見となった。リオ国立図書館には、ブラジル帝国時代の王室図書が多数所蔵されおり、キリシタン版がまぎれている可能性があった。
現在までに日葡辞書の存在が確認されているのは、英国オックスフォード大学(ボードレイアン本)、ポルトガルのエボラ公立図書館(エボラ本)、フランス国立図書館(パリ本)のみ。今回のリオ本が4冊目となる。
白井准教授によれば、「10月1日に再調査したら、リオ本はパリ本と同じ種類の印刷本だと分かりました」という。辞書は初版出版後も誤字などの修正が重ねられるので、同じ本でも幾種類もの版が存在する。
「どうやってリオに?」と質問すると、田代准教授は「ナポレオン軍に侵攻されたドン・ジョアン6世は、1807年に財産をもってリオに逃げてきました。その時に図書館の蔵書を丸ごともってきていたんです」という。大航海時代にはポルトガル王がイエズス会を庇護してアジアに送り出した経緯があり、キリシタン版が同王室図書館に収められていたようだ。
さらに「その後、本人はポルトガルに戻りますが、図書は置いていった。そこにキリシタン版があるのではと、以前から予想していました。今回見つかったのはテレザ・クリスチナの蔵書の中でした。ドン・ジョアン6世の息子がドン・ペドロでブラジル独立を宣言、その子どもドン・ペドロ二世の妻がテレザ・クリスチナです」と説明した。
白井准教授は、「これで、バイア(植民地時代の首都)はもちろん、南米の他の町にもキリシタン版が見つかる可能性が出てきました。これから、何度も南米に調査にくることになりそうです」と笑顔を浮かべ、その晩の便で帰国した。
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ウィキペディアによれば、『日葡辞書』がすごいのは、室町時代から安土桃山時代における古い日本語の発音と意味、その用例が分かることだ。そこから当時の生活風俗までが明らかになることから、「第一級の歴史的・文化的・言語学的資料」だと言われている。ちなみに「日本」の読みには[にほん](にふぉん)/[にっぽん]/[じっぽん]の3通りがあったとか。京都は「かみ」(上)、九州は「しも」(下)と呼ばれていた。あと「ろりろり」という言葉は「恐ろしくて落ち着かない様を表す語」だったとか。また、当時すでに「湯豆腐」という食品が食べられていたことも分かるという。次に湯豆腐を食べるとき、ちょっと味わい深くなる?