【既報関連】熊本市の劇団「夢桟敷」(坂本真理代表)による「移民の父」上塚周平の生涯を描いた演劇『万華鏡~百年物語』の公演が、今月6日、サンパウロ市の熊本県人会で催された。夢を抱えて海を渡った笠戸丸移民の失望、挫折、そして苦闘。移民事業の将来を一身に背負い、どん底に身を落としても決して挫けず、命を賭けて日本人集団地建設の理想に燃えた〃肥後もっこす〃の熱血漢の姿が鮮やかに舞台で蘇った。笑いあり涙ありの一時間半の公演に、約150人が熱狂した。
この物語は、現在の熊本を舞台に、夏祭りの広場で一人の男が「万華鏡」を売っているところから始まる。それを覗くと時間旅行ができるという設定。そこに現れたのが、最後の笠戸丸移民の中川トミだった。
「辛い時にはこれを覗いてご覧。美しい世界を見せてくれる。トミ、頑張るんだぞ」と上塚に言われたというトミ。もう一度上塚に会うために万華鏡を覗き、時空を遡っていく。
皇国移民会社の現地代理人として全責任を担う上塚。「もし第一回移民で間違いがあれば、日本の将来の発展は閉ざされ、国家存亡にも関る。何があっても笠戸丸移民の命を守る。それが使命だ」。迫真の演技に思わず会場も見入った。
希望漲る入植前とは打って変わり、過酷な現状に喘ぐ移民たち。「いつになったら腹一杯食べれるの?」「こんな馬小屋でどうやって暮らせというのか」。そして行き場のない不満の矛先は、上塚へと向かう。
「あんたらは私達を食い物にしたんじゃ」。罵声が響き渡る。だが、上塚は終始低頭で我慢強く辛抱するよう説き、移民達に生活の足場を与えるため、邦人集団地建設に燃えることになる。
プロミッソンでは移民の面倒を見る一方、自らは清貧な暮らしに徹した。「風呂は好かん」という上塚に対し、世話をするユミは「人のお世話もいいけれど、身なりにも気をつけてくださいな」と呆れ顔。
甥の道彦が来伯すると、「ここはお前が考えるほど生易しいところではない。今すぐ日本に帰れ」と促す上塚だった。だが最終的には、道彦の強い意思を知り乾杯で迎えた。だが、道彦の死の場面に。「死ぬな。俺がついていながらこんなことに。許してくれ道彦」。慟哭する上塚はますます火酒の量を増やしてゆく。植民地が立派になるのを見届けたかのように上塚もこの世を去ると「愛は花 君はその種」の名曲が流れ、会場の涙を誘った。
トミは「おじちゃんのことは決して忘れません。笠戸丸移民の夢は繋ぎました」と声を振り絞り、その生涯に静かに幕を下ろすのだった。
閉幕となると、観客は総立ちとなり拍手喝采に。プロミッソン出身の安永清さん(41、四世)と妻・ルリ子さん(43、三世)は「笑いあり涙ありでした」と絶賛。安永逸恵(58、三世)さんは「道彦さんの墓に、よくお参りに行っていたのを思い出しました」と話し、「時空を遡って過去を見つめる構成や劇中に現代の歌も入っていたりして、若い人が見ても楽しめる劇でした」と賛辞を送った。
安永関二(56、三世)さんは「祖父からこの話を聞かされて育ってきたが、まるでその当時にいるような気持ちになった。笠戸丸移民の思いを繋ぎ、日本語、日本文化をいつまでも続けていくのが宿命ではないか」と背筋を正した。
同公演は9日夜にもプロミッソン市営劇場で行われ、大盛況を博した。なお今公演は、上塚第一植民地入植百周年、熊本県人会創立60周年、ブラジル日本移民110周年を記念して行なわれた。
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公演を終えた坂本代表に話を聞くと「09年の公演では、上塚の生涯におけるどん底の暗い部分を描いていたが、今回は若い人も多く参加するため、その若い力を出したものにしなくてはと考えた。どん底の部分はあくまでも通過点であって、その先の明るい未来を描けたらと考えていた」と話す。舞台中では、上塚周平、甥・道彦、中川トミの死が出てくるが、どれも将来の日系社会の繁栄という明るい未来を暗示するものとして表現されており、若い世代にとっては移民110年の意義を改めて考えさせられる内容となったようだ。
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坂本代表によれば、09年に来伯公演を行った際に、上塚周平の甥・道彦や最後の笠戸丸移民・中川トミさんの存在を知り、今公演では物語を膨らませる重要な役に位置づけた。この10年間は、移民史の勉強を重ね、上塚の出生地である城南町とも交流を深めてきた。今回は城南町の地元の太鼓グループ「城南火の君太鼓」の劇団員2人が参加し、担ぎ太鼓で会場を沸かせた。演出の山南純平さんは「皆さんから学びたいという姿勢でもう一度ブラジルに来たが、さらに移民を身近に感じるようになった。上塚の地元以外では余り知られていないこの物語を、演劇を通じてもっと広めたい」と語った。移民にゆかりのある日本の他の地方の場所でも、ぜひ上演して欲しいところ。
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改修工事から行われたばかりの熊本県人会ホールには、予想を越える来場者が集まり、立ち見の観客の姿も。熊本県人会の田呂丸哲次会長は「私の祖父は大工として家を建てるために平野植民地に入植したが、マラリアで次々に入植者が斃れるなか、遺体を納める棺を作るのが仕事になってしまったと聞いている」と話し、「演劇を見ていて涙がでた。こうした先人の苦労が認められたからこそ、移民110周年を迎えている。これは決して忘れてはいけない歴史だ。県人会の若い青年も多く見にきてくれて本当に良かった」と笑みを浮かべた。