一六、列車は南下する
ソ連側は行き先を発表しないが、刻一刻と日本が近くになっていることは確かな事実であった。
翌早朝列車は動き出した。昼頃荒野原の真ん中に停車した。前方車輌から
「後へ逓伝。各自炊事用の薪を採り、炊事車に渡せ」
と、寒い強風をついて聞こえた。後の車輌に伝えた。
この南下の旅はノーバヤからポセットまでの旅と同じように、一日二回の箸の立たないお粥を支給してくれる。ならば薪採りに行こうではないかと、貨車から降りた。
ところが、どちらを向いても薪になるような立木は、遥か彼方に、あちらに一本、その向こうに一本という有様である。ずいぶん歩き、緩い斜面を越えたところで、ようやく腕太の、捩じれた丈の低い松に取り付いた。悪戦苦闘の末、ようよう根本から捩じ切った。列車は玩具のように小さく見える。松を肩に、後から強風に煽られて、フラフラしながら、波状形の草原を歩いた。
夕方近く小雨は止み、短いトンネルの中に停車した。なかなか動く様子がない。降りて貨車と貨車の間に入り、大きい方の用を足していると、急に動き出した。
慌てて外へ飛び出してズボンをあげ、片手で押さえて走った。戦友が手を伸ばして引き上げてくれた。ズボンは膝の辺りまでずり落ちていて、少々きまり悪い思いをした。
一七、興南
昼前頃、興南に到着。直ぐに町へ導かれる。軒が低く、日本の地方都市の下町風の家々が続く。カンボーイは、気味悪いほど温和である。銃を持っているが、威嚇に使うことはなく、肩にかけているだけである。道案内をする態度を崩さない。
町は静まりかえり、物音ひとつしない。しばらく歩くと間口の広い大きな建物の前で止まった。
「これから先着順に入浴します」
と、通訳が触れてきた。
反射的にモルドイ村へ着いた午後のサウーナ風呂を思い出した。北朝鮮だからサウーナではなかろうと、好奇心を持って順番を待つ。一度に三十人づつの入浴である。入浴を終えて出てくるものは、みな血色がよく日本式の風呂だ。生き返ったよ、と喜んでいた。
やっと順番がきて中に入る。番台があって、脱衣場には着衣をいれる篭とか壁際には脱衣箱が設けてあった。着衣を脱ぎ捨て、浴場に入る。広々とした浴場の中央に円形の浴槽が、満々と湯を湛えている。手拭いも石鹸もないから、湯気を立てている浴槽にいきなり浸る。なんとも言えない心地良さであった。
駐屯地以来の日本式風呂への入浴だから一年振りである。モルドイ村のラーゲリから伐採に行った際、監督の好意で小じんまりしたサウーナに一度入ったが、日本人には浴槽の湯につかる入浴が、なんといっても最高にいい。入隊後、候補生の集合教育に入るまでは、一週間に一度だけ各班毎の入浴だった。あれは隊内では入浴といっていたが、その実入浴ではなかった。裸になり、浴場の入口で、
「××二等兵入浴します」
と、怒鳴り、浴槽の傍の手桶に湯を汲んで、頭からザアーとかぶる。体を拭くや否や、
「××二等兵入浴終わりました」
これが入浴風景であった。