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自分史=私のシベリア抑留記=谷口 範之=(63)

 こんなやり方は初年兵の一人が、在郷軍人から教えられたものらしい。初めての入浴日、私は悠々と湯につかり、あがって石鹸で体中の垢を落とした。再び湯につかろうと浴槽に入った。古年兵らしい二人が浴槽にいるだけで辺りを見回すと、同年兵は誰もいない。
 あっと、気が付いた。
 浴場に入る時だれかが、××二等兵入浴します、というや否や手桶に汲んだ湯を頭からかぶった。すぐに、××二等兵入浴終わりました、と威勢よく飛び出していった奴がいたことを思い出した。入浴は一日の疲れをとるものだと、家庭で教えられていたからそのつもりで入浴したが、軍隊では地方の習慣は通じないのだと、その時初めて気付いた。夢にも思わなかった事態に慌てて飛び出した。
 着衣をつけて外に出ると、全員整列して私を待っていた。班長はジロッと私を見たが叱りもしなかった。だが、烏の行水よりもっと程度が低い入浴は、なんのための入浴かわかったもんでない。そうかといって、入浴毎に班員全員を待たせ、私が一人ゆっくり浴槽に浸っていることはとても出来ない相談だった。
 そんなことを思い出しながらゆったりと湯に浸り、充分に温まった。石鹸も手拭もないが、それだけで充分満足した。ボロシャツで体を拭き、上下衣を着ると一年の疲れが綺麗さっぱり取れた気持になった。
 また町中を前進する。軒先に簾を立てかけた八百屋を見かけたが、店内は無人である。野菜が三、四種類だけ台の上に並べてあるのが、簾越しに見えた。その時、俯き加減に足早に隊列を追い越してゆく一人の婦人がいた。セーターにスカートの後ろ姿は、この土地の人ではなく明らかに日本の婦人であった。
 その人は少し先の路を左に曲がった。私たちの隊列もその路に入った。婦人の姿はもう見えなかった。いくらも進まないうちに、左側の奥まった辺りから子供の声が聞こえてきた。耳を澄ますと国語読本を読んでいる子供の声である。子供が一節を読み終わると、女性の低い声音が次の一節を読み。子供が朗読した。日本人の子供である。
 先程の婦人の服装と子供の学習から、残留させられた技術者の家族が、数家族いる様子である。だから銭湯があのように残されていたのだ。頑張って下さい。ご無事で帰国されるよう心より祈っていますと、子供が読本を読んでいる方向に頭を下げて通り過ぎた。
 平坦な町中を通り抜ける。突き当たりの小山の麓に立派な家々が立っていた。家々と小山の間の細長く二m毎に区切られた建物に泊ることになった。床と区切りの下半分はセメントで造ってあり、上半分は板囲いながら板には塗料が塗ってある。だが間口二mには扉がない。しかも片屋根で上部は板囲いになっていないのだ。なんとも不思議な建物だなと考えていると、隣の戦友がここは厩屋だよ、と叫んだ。成る程と思った。
 多分えらい人の厩屋なのだろう。だからこんなに立派で、寒い北風が小山で遮られ、馬に寒い思いをさせないような造りになっているんだと納得した。それにしては、一度も馬を収容した形跡がなかった。多分、厩屋が出来ると同時くらいに終戦になったのだろう。
 えらい人達はまさか私たち兵隊どもの一夜の宿泊所になるとは、想像もしなかったろうと思うと少し可笑しくなった。