故郷巡り3日目の9月22日、訪問地はサンタフェ・ド・スール。同市の歴史を紐解くと、1920年に英国の石油会社代表ジョン・バイアック・パジェット氏が石油探索を目的に、パラナ川に添った3万2千アルケールの土地を購入したことに始まる。
46年に土地所有を正当化させるため79世帯を送り込んだが、同年の46年憲法制定により地下資源の所有権は国家統制下におかれ、その利権は剥奪された。
その後、アララクアラ線の開通のため、農業入植殖民会社(CAIC)がその土地を購入。開発資金を集めるため土地が分割販売され、48年に市が創設。53年に自治体に昇格した。
現在、市人口は約3万人。隣町のイーリャ・ソウテイラ水力発電所の建設で湖面が拡大したため、〃大きな湖の都〃として知られる。03年からは29あるサンパウロ州保養地の一つに認定され、サンパウロ州から観光振興のために補補助金が下りている。
川沿いには、500以上のキャンプ用宿泊施設を備え、カーニバルや祝祭シーズンは最高潮となり、市人口の半分にあたる1万5千以上が訪れるという。
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同市内ホテルで宿泊した一行は、午前8時、市内の水上公園「グランジス・ラゴス・テルマス」に向けて出発。グランデ川、パラナイバ川が合流し、パラナ川と成す雄大な景色を背に眺め、波のプールなど充実したアトラクションが備わる同園は、まるで南国の楽園といった雰囲気だ。
休日のため多くの観光客が訪れるなか、余りの暑さに日陰で休憩する参加者も。雑談を交わしていた参加者に声をかけたところ、レジストロからの一行だった。出発当日、サンパウロ市に向かう途上で大渋滞に巻き込まれ遅れて到着したために、気を揉んだのだという。
兄弟とその家族と一緒に参加した北原吟子さん(73、熊本県)は「ノロエステについてはよく耳するけど、実際に来たことはなかった。他の地域の移住地を知るというのはいいものね」と満喫している様子だ。
吟子さんに話を聞くと、13歳の時、58年に両親と8人兄弟で移住。「中学校の教科書を詰め込んで持ってはきたけど、いつの間にか何処かに行ってしまった。初めはスザノに入植し、家族皆でカマラーダをしたけど、食べるのが精一杯だった。女だけど男みたいに育ってきたのよ」と冗談交じりに語った。
「私達の苦労なんて、苦労のうちには入らないのよ。アマゾン移民の苦難に比べたら…」とポツリと語り、続きを促すと「今日は楽しみに来ているんだから。こんな綺麗な景色を前にする話じゃないわ」と遮られてしまった。
吟子さんは陽光に照らされた眩いばかりのプールに目をやり、「こうやって家族で一緒に来られることは有難い。やっぱり最後は家族が一番ね」と話し、義姉の千代さん(宮崎県、74)も「クリスマスや新年には、親戚中が家に集まるのよ」と顔を見合わせて微笑んだ。
8人兄弟の北原家は今や親族が100人近くまでになり、子孫が繁栄しているという。(続く、大澤航平記者)
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故郷巡りでは訪問しなかったが、ジャーレス市のバスターミナル付近には日本広場、サンタフェ・ド・スル市のセンにも日の出ずる広場(Praca Sol nascente)と、日本移民の貢献を顕彰した広場がある。ジャーレスは10年、サンタ・フェは08年と移民百周年を契機に建てられた遺産のようだ。故郷巡りの常連からは「故郷巡りなのに、現地の日系社会との交流が今回はいつにもなく希薄」「誰が現地の日系の方なのかもよく分からなかった。もっと現地の人から話を聞きたかった」「今回は休憩ばっかり。もっと時間を有効に活用できないものか」といった厳しい意見も。こうした声も受け止め、次回の故郷巡り企画の参考にして欲しいところか。