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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(10)=UNESP教員ら中心に発足=イ・ソウテイラ文協が歓迎昼食会

同文協の皆さん

同文協の皆さん

 発電所を後にした一行は、イーリャ・ソウテイラ日伯文化協会主催の歓迎昼食会へと向かった。同会は市街地に賃貸の会館を有するが、大規模な訪問団の歓迎とあって、スポーツ・クラブ・バネスピーニャで催された。
 津田セイジ会長(66、二世)によれば、同会創立は84年。76年のパウリスタ州立大学(UNESP)校舎の開校以来、日系教授や学生が増加するなか、彼らを中心とする79人が結集して発足に到った。
 発電所が稼動し始めた73年頃、夫と共にバウルーから移住してきた伊藤ローザ君代美婦人部長(69、二世)は「引っ越してきた当初は、発電所はあっても道路にアスファルトもないような辺鄙なところだった。雨風が吹いたらそれは大変だったわ」と述懐する。
 「まだその頃は日系人も殆んどいなくて。私は両親が一世だから、小さいときからコロニアの活動に参加していた。だから、こちらに越して来たら日本人会もなく、寂しい思いをしていたのよ」と語った。
 だが、UNESPの開校により、日系人が目に見えて増えた。「ここには仕事が沢山あったから、若い人が全伯から集まった。だから、子供も多く、日系学生が中心になって青年会も立ち上がった。それは活発だったのよ」と振返る。
 同会は、90年代までは活況を呈していたというが、それ以降、活動は縮小。現在、会員は約60世帯で、盆踊りや運動会などの年中行事を中心に活動している。
 津田会長は「自前の会館がないから、焼きそば会を開催して運営に四苦八苦しているよ」と笑い飛ばし、「昔は青年も多く太鼓も盛んだったけど、今はやる人がいないから会館に太鼓が飾ってあるだけ」と寂しげな表情を浮かべた。
 「それでも、何かある時にはノロエステ連合から人が来てくれる」と話し、地域同士の結束の強さが会運営の支えにもなっているようだ。
 伊藤婦人部長は「もともとはバウルーに住んでいたから、こっちに来た時は不便に感じた。今でも、医療施設が充実していないから、診察を受けるには町を出なくてはいけない。そうは言っても、住めば都。今はここの生活が気に入っているわ」と話した。
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 当地は、発電所建設以降に移転してきた日系人が大半のため、ダム建設に伴う湖面拡大で退去を余儀なくされた日系人がいたかについては、情報を得られなかった。出発時刻となり、いざバスに乗り込むという直前、前述の高松さんから「退去させられた日系人のことを知る人がいたわ」と耳寄りな情報が入った。
 同市在住の比良明彦さん(65、鹿児島)によれば「ダム建設で土地が水没して移転を余儀なくされ、今もペレイラ・バレットに住んでいる人を知っている」との事。記者は取り急ぎ連絡先を交換し、バスに乗り込んだ。(続く、大澤航平記者)