故郷巡りでは、水力発電所建設で湖面が広がり、観光地として栄えるサンタフェ・ド・スールとイーリャ・ソウテイラを訪れた。だが、その一方で市面積の相当の部分が水没し、今日に禍根を残している町もある。
それがペレイラ・バレットだ。同市は、ブラジル拓殖組合が1928年に開設したチエテ移住地を礎として発展した町であり、最盛期には日系人が一千世帯を超えるほどの大移住地だった。
当時、この一帯はマット・グロッソ・ド・スルに通じる航路となっていたが、滝や瀬が多く難路で知られ、マラリアも多く魔の森として恐れられた新開地だった。だが、チエテ川とパラナ川との間に灌漑する肥沃な土地で、珈琲、米、棉作や家畜飼育に適しており、短期間に発展がもたらされた。戦後は州内屈指の牧畜地として知られるようになった。
その発展の象徴となっていたのがノーボ・オリエンテ橋だ。チエテ川にかかるこのアーチ型の吊橋は長さ160メートル、高さ25メートル。日本政府が約20万円(800コント)、サンパウロ州政府が400コントの巨費を投じて、1935年に建設された。
入植当初、チエテ移住地からルッサンビラ駅に行くには、チエテ川を渡船するしかなかった。だが橋の建設で、袋小路だった移住地に飛躍的な交通の利便性向上をもたらした。
ところが90年10月、町の繁栄を支えてきたノーボ・オリエンテ橋は、トレス・イルマオス水力発電所の建設により水没した。現在では水面から上部を僅か覗かせるのみとなり、かつての繁栄の象徴と化している。
UNESPのオマール・ジョージ・サバ教授によれば、水没面積は817平方千米、そのうち同市への被害は217平方千米に及んだ。市面積が982平方千米だから、もとの面積の約2割に相当する計算になる。川幅500メートルだった地点が5キロになっているというから、その被害は甚大だ。
同市では市街地の一部まで水没した。旧ノーボ・オリエンテとして知られる市街地は、ノロエステ線ルッサンビラ駅から6キロに位置し、マラリアを避けて居住するため高台の高燥地帯として発展したところだ。だが、そこでも1・5平方キロが水に浸かり、対岸にあったルッサンビラ駅も水没した。
ブラジル地理統計院によれば、80年に4万6366人だった同市人口は、発電所が稼動する前年の90年には2万4743人に半減。全産業において労働人口減少が確認され、特に鉱業や農牧畜産業に対する影響は深刻で7181人から2827人に激減したと同教授は指摘する。
湖面が広がって00年にサンパウロ州保養地に認定され、観光業に恩恵をもたらした一方、水没による経済的損害は甚大だった。ペレイラ・バレットを通じて水力発電所建設の功罪が見えてきた。(続く、大澤航平記者)
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