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県連故郷巡り=アララクアラ、ノロエステ巡訪=(14)=先祖が導いた百年後の奇跡=孫の代で解き明かされる親族関係

(右から)日野さん、エジーナさん、妻・芳江さん(提供写真)

(右から)日野さん、エジーナさん、妻・芳江さん(提供写真)

 水上公園の中を歩いていると、前述の日野寛幸さん(=第2回で掲載)が「ぜひ、聞いてもらいたいことがある」と話しかけてきた。日野さんは57年に家族と移住し、ジャーレスで育った。すでにジャーレス訪問を終えた後で、このツアーの目的はほぼ果たされたものと思われていた。
 日野さんは「まさかこういうツアーに初めて参加して、こんなことが起こるとは思ってもみなかった」と口火を切り、「イーリャ・ソウテイラの見送りで、トイレから出でバスに向かったところ、ある婦人からふと声をかけられた。なんとその方が、私の遠い親戚だったんです。親戚がいるというのは知ってはいましたが、これまで探したこともなかった。ご先祖さまが導いて下さった奇跡です」。
 日野さんは、時折、夢か現かといった表情で、滔々と語りはじめた。
 その運命を手繰り寄せたのが、ツアー参加者が首からぶら下げていた一枚の名札だった。そこに書いてあるのは、名前と出身県のみ。だが、それを見た現地在住の日野加藤エジーナ・カルバーリョさん(56、三世)が同姓であることに気づき、両家の祖父が同じ福岡県旧朝倉郡の同じ部落の出身であることが発覚した。
 〃ご先祖さまが導いて下さった奇跡〃と日野さんが言うまでにはわけがある。エジーナさんの祖父・千次郎さんこそ、日野さんの祖父・信夫さんが渡伯する直接のきっかけを作った人物だったからだ。
 母・美喜枝から聞き伝えられた話によれば、プロミッソンの珈琲農園で成功した千次郎さんが1910~20年代にかけて一時帰国し、信夫さんにブラジルでの儲け話をしたのが始まりだった。親族関係は明らかではないが、千次郎さんは分家の家長と思われる。
 信夫さんは日野本家の跡取り息子だったため、曽祖父・幸作さんは頑なに反対。だが、信夫さんは「ブラジルに行けば儲かる。10年したら帰ってくる」と説得し、終には長女・美喜枝さんを曽祖父母に預けて、28年に一家で渡伯した。
 だが、ほとんどの移民と同様に、故郷に錦を飾るのは幻に久しく、やがて太平洋戦争が始まり離ればなれに。一方、曽祖父母のもとで育てられた美喜枝さんは、当時の女性としては珍しく師範学校を卒業し、戦時中は地元の小学校で教師を務めていた。(続く、大澤航平記者)