はじめに
保久原淳次ジョージ
この本は後部の参考書および訳注・備考欄に記載した記録および作者が収集した証言、あるいは本人の記憶によるエピソードなどを記したもので、登場人物はすべて実在し、記述された事柄はすべて事実である。
しかしながら、本書は歴史、社会学、新聞報道のたぐいのものではなく、しいていえば、物語、そう、叙述物語といえる種類のものになるかもしれない。移民の生涯を語るという点では、すでに何十冊もの本が出版されているが、この本もまたその系列に並ぶことになろう。
主人公、保久原正輝もまた、一獲千金を夢みて海をわたってきた数多くのブラジル移民のひとりである。
彼が描いた夢、希望、そして挫折感は大多数の移民と同じものだったにちがいなく、この物語を通して、作者は移民の上に何が起こったのか、どのような不測の事態にさらされたのかを読者に伝えたいと思う。正輝が国をでなければならなかった理由は、他の移民たちが国外に放り出された理由と大差ないであろうし、また、正輝がブラジルの現実に立ち向かいながら得たものも、他の移民たちと似たようなものであろうことは想像に難くない。
しかし、本書は移民の代表として主人公の生涯を描くことだけに留まらない。明治天皇の治下にあった19世紀から20世紀にかけての、日本が天皇制を強固にした当時の沖縄(正輝の出生地)の歴史にもふれたいと思う。
同時に一方では20世紀の前半、文化、政治、経済面でブラジルが大きく変転した時期についても述べていきたい。沖縄の自然の厳しさ、日本の明治時代の急激な政策転換、人口の増加、軍事勢力の台頭、経済危機、そんな状況のなかで正輝は生まれ育ったのである。
国家の変遷、家族の苦境が正輝と叔父保久原樽とウシ夫妻を神戸から出港する移民にした。三人は希望に胸をふくらませて故郷をあとにした。しかし、移民船若狭丸での船酔いに苦しむ船旅、まったく異なる人々との出会い、不慣れな食べ物、通じない言葉、霜害、住宅や労働の悪条件が、世界の反対側でわずかな時間で富が得られるという移民たちの夢を、こなごなに砕いてしまった。
まさに「労多くして功少なし」である。
正輝や多くの移民たちの初期の生活はこの言葉に集約されるといってもいい。成功をめざして移民たちは試行錯誤をつづけるが、夢を達成できたのはほんのひと握りの人たちだけで、大部分は病魔に襲われ、破滅するという最悪な状態にいたった。
それから第二次大戦がやってきた。
移民たちは戦争がはじまった日本の学校教育で国粋主義精神を培ってきていたから、それはそのままブラジルでも継続された。一方、ブラジルではゼツリオ・バルガスの新国家体制によって、日本語による出版物発行が禁止され、これが直接的に日本人に影響をおよぼした。この禁止令が国粋主義組織「臣道聯盟」の創立をうながすことになり、時間とともに先鋭化され勝ち組とよばれた。彼らは、日本が戦争に勝ったといういつわりの情報を流すばかりでなく、ついには負け組とよばれた反対派の人間を殺害するという行為にまでいたったのである。正輝はこれらの犯罪事件には加担しなかったが、連盟員であるという理由で検挙され、裁判を受けなければならなかった。