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エドアルドよ、グローバル時代の演歌をうなれ

指先と表情に独特の表現力があるエドアルドの歌

指先と表情に独特の表現力があるエドアルドの歌

 「日本で活躍するブラジル人」という言葉は、死語に近いと思っていた。日産のカルロス・ゴーンはブラジル人としては別格的な存在だったが、先日逮捕された。とはいえ、普通の日本の日本人にとっては、「フランス人」の印象の方が強かったのではないか。
 かつて20人近くのコロニア力士が日本の大相撲に挑戦したが、なんとか幕内に入った魁聖がせいぜいで、主役たる三役には程遠い。かつて、日本の芸能界で一世を風靡した歌手カルロス・トシキも過去の人となり、現在はクリチーバでレストラン経営。マルシアも一時はテレビで人気者になったが、いまは大人しくなった。
 サッカー界ではJリーグ初期の20年間はジッコを始めブラジル人選手の活躍が目立った。日本代表にも帰化ブラジル人が何人も入ったが、今では代表選手にはいない。
 埼玉で「ネギ王」と呼ばれる元デカセギの斎藤俊男さん(二世)あたりは、日本の農業界の革命児として十分に活躍している。だが、デカセギから始まって日本社会で尊敬されるような存在になった人はごく少ない。今でもデカセギは産業界の底辺を支える調整弁という印象が強い。
 その一方で、日本の伝統文化(芸能、工芸など)にほれ込んで、その業界の一角を支える存在になった外国人がたくさんいる。狂言師になったヒーブル・オンジェイ(チェコ出身)、落語家になったダイアン吉日(イギリス)や桂三輝(カナダ)、和紙工芸家のロギール・アウテンボーガルト(オランダ)、藍染め職人のブライアン・ホワイトヘッド(カナダ)、陶芸家のユアン・クレイグ(オーストラリア人)、女流プロ棋士のカロリーナ・ステチェンスカ(ポーランド)など枚挙にいとまがない。
 ブラジル人で活躍する人はいないものか…。そんな忸怩たる想いが、ずっとあった。そんな中で、一筋の希望の光が差し込んだように見えたのは、演歌歌手のエドアルドだ。
 彼が面白いのは、生粋のブラジル人でありながら、日本人の心の機微を歌う演歌で活躍していることだ。
 演歌界では、5月までは「史上初の黒人演歌歌手」といわれ、「演歌界の黒船」との異名をとったジェロ(米国)がいたが、現在は芸能活動を休止している。また、アルゼンチンの日系二世、大城バネッサも演歌歌手として活躍しているが、現在は活動拠点を東京から岐阜県羽島市に移して、2010年には飲食店「cafeteria Vanesa /カフェテリア バネサ」をオープンするなど、第一線からはちょっと距離をおいた感じだ。
 今の演歌界には、外国人歌手として彼が活躍する余地がありそうだ。
 エドアルドのショーをみてつくづく思うのは、歌うときの手の動きや表情に表現力があることだ。まるで、一人芝居を見ているよう。ブラジル人が得意な表現力を駆使して、彼独自の演歌を作り上げている途上だという感じがする。
 彼には、日本人を応援するような演歌を歌ってもらえないかと思う。日本が大好きなブラジルやコロニアを代表して、日本の日本人を勇気づけるような歌だ。演歌は一般的に日本人の心を歌うから、外国のことや外国人、外国在住者の視点は歌い込まれない。

歌はもちろん日本文化、日本語、作法まで教えた北川彰久さんに頭を下げるエドアルド(ブラジル紅白、2日、文協で)

歌はもちろん日本文化、日本語、作法まで教えた北川彰久さんに頭を下げるエドアルド(ブラジル紅白、2日、文協で)

 だが、エドアルドには「グローバル時代における演歌」として、移民が常々思っているようなこと、例えば「異国に住んでいるからこそ分かる日本の真価」「日本の日本人は自分の国を卑下しすぎ。日本は十分に素晴らしい国だ」と歌い上げてほしい気がする。それを生粋のブラジル人が代弁して、日本で歌うことにグローバル時代の意義がある。
 普段、さんざカラオケ大会の取材をしながら滅多に誉めることがない弊紙ポ語版「ニッパキ」の樋口アウド編集長は、《正直言って、私の日本語はほぼ文盲だが、奴の演歌が凄いことは一曲聞いただけで分かった。日本で成功を収めていることが納得できた。奴は大したものだ》―彼にしては珍しいそんな称賛コメントと共に、慈善ディナーショーで歌っているエドアルドの写真をフェイスブックへ大量に公開した。
 これを読んで、エドアルドの存在は一般ブラジル人にもインパクトがあるはずと確信した。彼は2020年の東京五輪の年のNHK紅白歌合戦に「ブラジル代表」として出場するのを目標にしている。「エドアルドをNHK紅白に」という署名活動も、来年からブラジル日本アマチュア連盟(INB)が中心になって行い、NHKに提出するという。ぜひ皆で協力したいところだ。(深)