「カオリン王」と称される実業家で篤志家の堀井文夫さん(84、広島県)――寡黙で謙虚な人柄で知られており、それゆえ地元でさえ等身大の堀井さんを詳しく知るものは少なかった。だが、伝記『カオリン王 堀井文夫 移民80年記念史~八十路を楽しむ移民80年~』(日ポ両語209頁、大浦玄編著)が13日夜、モジ・ダス・クルーゼス文化協会で刊行され、同氏の〃隠れた素顔〃がついに明らかとなった。カオリン鉱脈を掘り当てた幸運以上に、忍耐不抜の精神で事業を成功に導いてきたことが伺われる著作といえそうだ。
「日系社会の偉大なる実業家である堀井氏が移住80周年を迎え、こうして伝記を刊行したことに大きな拍手を」――津田フランキ同文協理事長が呼びかけると、地元在住者や日系福祉団体関係者など約200人は盛大な拍手を送った。
堀井さんは、1968年にカオリン採掘販売を行う「堀井鉱山有限会社」を設立。その後ゴルフ場、リゾートホテル経営と事業を拡大し、現在は中高級層向け分譲住宅建設を進める。日系社会屈指の実業家の一人だ。
篤志家の一面を持ち、モジ文協スポーツセンター建設で自ら陣頭指揮をとって大型土木機械を運転して整地し、体育館等を建設寄贈した。他にも、モジ本願寺建設寄進など枚挙に暇がなく、地元日系社会では〃大恩人〃と言える存在だ。
津田理事長は「モジ文協にとって、堀井氏は実業家以上に友人、庇護者であり偉大な助言者である」と話し、「自身がしたことを公にするのを良しとしないが、日系社会最大の行事の一つ秋祭りを開催できるのも、彼のお陰。あのスポーツセンターがあるから」と強調。「堀井氏が礎を築いたスポーツセンターを大イベント会場に発展させ、今後も続いていくよう約束する」との決意を語り、謝意を滲ませた。
昔からの友人の山元治彦元理事長は、「普段から無口で、謙虚に他人の話に耳を傾ける人。最近になって次男・和人氏がマット・グロッソ州ボドケーマ市長になっていることを知った。普通の親なら自慢するのが当然だが、堀井さんはしない」と同氏の奥ゆかしいエピソードを紹介。
「この本は決して成功物語でない。苦心した一人の実業家のぽつりぽつりの一言を綴り合わせ、一冊ができた。どんなに難しい時代でも事業や一族を成功や繁栄に導き、幸福を引き寄せた証明がこの本にある。事業を志す若者にもぜひ読んでもらい、堀井氏に続く実業家が出てくることを期待する」と語った。
堀井さんは「何か一つを始めると、それに全身全霊を以って取組んできた。諦めるのが嫌いな性分で、何かを成し遂げたいと思えば最後まで貫徹した」と半生を振返り、「私をブラジルに連れてきてくれた両親や先祖にいつも感謝している」と矍鑠と語った。
最後に、半世紀来の友人という森昇氏が乾杯の音頭を取り、祝宴に。堀井氏は出席者一人一人に謝意を述べ、サイン本を手渡していた。
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「カオリン王」堀井文夫さんの事業が軌道に乗る以前から、40年来の付合いという山元治彦モジ文協元理事長。堀井さんの人物像に就いて訊くと「昔から終始一貫して並外れた働き手だった」という。「堀井さんは寡黙だから、断片的なことしか分からない。聞いた話を繋ぎ合わせて理解している」とのこと。堀井氏の次男が市長になったのをどう知ったのかを訊いたところ、「『三男を最近見かけないが何処に行ったのか』と堀井さんに訊いたら、『次男が忙しいので手伝いに行っている』とのこと。次男がマット・グロッソで鉱山事業をしていることは知っていたが、ひょんなことから市長になったことが分かった」とか。謙虚な人柄が滲み出てくるようなエピソードだ。
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寡黙な堀井さんにどのように取材したのかを編著者・大浦玄さんに訊いたところ、「堀井氏について聞き及んでいることを確認する形式で取材した。事実であれば『うん』という。それが違っていれば訂正し、さらに説明してくれる。そのようにして話を聞くことができた」と笑う。取材で見えてきた人物像に就いて尋ねると、「奥さんと手を繋ぐ仲睦まじい写真が沢山出てきた。もの凄く奥さんを大事にしている証拠。成功した事業家は家族をないがしろにすることが多いが、堀井氏は全く違う。家族を大切にしながら、事業で成功している」と話した。