「カオリン王」と称されるコロニア屈指の実業家で、篤志家としても知られるサンパウロ州モジ・ダス・クルーゼス市在住の堀井文夫さん(84、広島県)。謙虚で寡黙な人柄で知られ、それ故に地元ですら、堀井さんの経歴を詳しく知るものは少なかった。今月13日夜、伝記本『カオリン王 堀井文夫 移民80年記念史~八十路を楽しむ移民80年~』(日ポ両語209頁、大浦玄編著)が刊行され、その隠れた素顔がついに明らかとなった。カオリン鉱脈を掘り当てた強運に加えて、忍耐不抜の精神で事業を拡大させてきた成功哲学には、実業家を志す次世代の若者に大いに参考になりそうだ。
「何か一つを始めると、それに全身全霊を以って取組んできた。諦めるのが嫌いな性分で、何かを成し遂げたいと思えば最後まで貫徹した。私が頭の中で計画した事業は、それが完成する前に、どのようなものになるかが既に分かっていた。このように人生を歩んできた」――堀井氏は刊行パーティの折り、自らの半生を振返ってそう語った。
堀井氏は、今上陛下と同じく1933年12月23日に生まれ。今月23日でめでたく85歳を迎える。37年にブラジル移住し、リベイロン・プレット等を経て、52年にモジ郊外のダルマ植民地に入植した。
当初は野菜栽培に従事したが、61年にカオリン鉱脈を掘り当て、68年に採掘販売を行う「堀井鉱山有限会社」、69年には「堀井商業事業有限会社」を設立した。
事業は採掘販売にとどまらず、ゴルフ場、リゾートホテル経営に加え、同市中心部での不動産賃貸業、鉱山採掘跡地での環境再生事業と多岐に及んでいる。現在は、中高所得層向け分譲住宅建設を進めている。
カオリン王として強運の持ち主である側面が強調されることも多いが、実は、それを好機として事業を拡大発展させてきたのは、実業家としての才能に他ならない。忍耐不抜の精神でコツコツと努力を積み上げてきたからこそだ。
本書では、事業をはじめた当初、カオリンを販売するのに詰める袋もなく、捨ててあった養鶏用えさ袋を捜して拾い集めていたという逸話も紹介されている。カオリンに被って白くなり、汗を拭って懸命に働く姿が写真に収められている。
一方で、篤志家としての顔ももつ堀井氏は、事業が軌道に乗る以前から、慈善事業に積極的に携ってきた。モジ文協のスポーツセンター建設にあたっては、自ら陣頭指揮をとって大型土木機械を運転して整地し、体育館を建設寄贈。
モジ本願寺建設では私有地を寄進した上に寺院を建立寄贈、近隣在住の仏教徒約500世帯にとって心の拠り所となっている。地元モジの日系社会では〃大恩人〃と言える存在だ。
その他、サンパロ日伯援護協会、今年のブラジル日本移民110周年記念祭典に対する支援など、実例を挙げれば枚挙に暇がないほどだ。刊行パーティには、堀井氏にお世話になったモジ文協をはじめ、日系福祉団体関係者らも多数参加していた。
母の願い、カオリン鉱脈発見秘話=堀井氏の隠れた素顔明らかに=並外れた働き手、家族思いの一面も
「あの山の高い木があるところに家を建ててみたい」――母・良美さんが生前、そう繰り返し話をしていた。後年になってようやく母の想いを叶えようと、その場所に家を建てようと掘り返した時、堀井氏はカオリンの鉱脈を発見した。家族想いな堀井さんらしい鉱脈発見の秘話だ。
伝記本『カオリン王 堀井文夫 移民80年記念史~八十路を楽しむ移民80年~』には、そのような逸話がたくさん織り込まれている。
日ポ両語で全209頁のフルカラー、二部構成。堀井氏の出生地東広島にも取材に訪れて一族の歴史を掘り起こしたうえ、堀井氏周囲の友人や関係者の証言と合わせて、同氏の人物像に深く迫っている。
堀井氏は生来の寡黙な人柄で、半世紀来の友人である森昇氏は「ゴルフを一緒にしている時はいつも私が一方的に話し、堀井さんはニコニコして聞いているだけ。愚痴をこぼすのも一度も聞いたことがない」と話す。
編著者の大浦さんは「堀井さんは寡黙な方なので、聞き及んでいることを確認する形式で取材した。それが事実であれば『うん』と言うし、違っていれば訂正し、さらに説明を加えてくれる。こうしてようやく話を聞きだすことができたんです」と笑う。
取材を通じて見えてきた人物像について、大浦さんは「運が良いと言われるが、実際には、それ以上に実業家として優れた能力を持っている」と話す。
その一方、「奥さんと手を繋いでいる仲睦まじい写真が沢山出てきた。成功した実業家は家族をないがしろにすることが多いが、堀井氏は全く違う。家族を大切にしながら、なお事業で成功している」と分析した。
伝記に序文を寄せた山元治彦元理事長は「堀井さんはいつも笑みを浮かべて寡黙な人。照れ屋で決して自慢話をすることもないから、断片的なことしか分からない。40年前からの付き合いだけど、私も聞いた話を繋ぎ合わせて堀井さんを理解しているよ」と話し、「でも、昔から終始一貫して並外れた働き手だったということだけは知っている。足を真っ白にして一生懸命働いていたのをよく覚えている」と懐かしんだ。
「八十路を楽しむ移民80年」=モジ文協で200人が刊行祝す
「日系社会の偉大なる実業家である堀井氏が移住80周年を迎え、こうして伝記を刊行したことに大きな拍手を」――津田フランキ同文協理事長が呼びかけると、地元在住者や日系福祉団体関係者など約200人は盛大な拍手を送った。
「モジ文協にとって、堀井さんは実業家以上に友人、庇護者であり偉大な助言者」と話し、「ご自身がなされたことを公にするのを良しとしないが、日系社会最大の行事の一つである秋祭りを開催できるのも、堀井さんのお陰でできたスポーツセンターがあるからこそ」と強調。「礎を築かれたスポーツセンターを大イベント会場に発展させ、今後も続いていくよう約束する」と決意を語り、謝意を滲ませた。
山元元理事長は「普段から無口で、謙虚に他人の話に耳を傾ける方。最近になって次男・和人氏がマット・グロッソ州ボドケーマ市長になっていることを知った。普通の親なら自慢するのが当然だが、堀井さんはしない」と同氏の奥ゆかしいエピソードを紹介した。
刊行に寄せて、「この本は決して成功物語でない。苦心した一人の実業家のぽつりぽつりの一言を綴り合わせ、一冊ができた。どんなに難しい時代でも事業や一族を成功や繁栄に導き、幸福を引き寄せた証明がこの本にある。事業を志す若者にもぜひ読んでもらい、堀井さんに続く実業家が出てくることを期待する」と語った。
最後に、半世紀来の友人である森昇さんが乾杯の音頭を取り、祝宴に。堀井さんは出席者一人一人に謝意を述べ、本書をサインして手渡していた。