房子の移住は、出発まで時間がかかったが、その間に得た漢方医学の知識は結婚生活に大いに役立った。知識ばかりでなく、漢方医学の本質やその応用法がしるされた解説書をもってきていた。 二人がはじめての冬をむかえたとき、正輝は寒さによる体の痛みを訴えた。房子が沖縄で習得した教えによると、体のある場所に熱をあてると、痛みがおさまるという ...
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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(69)
どの日本人の心のなかにもよりよい収入を得たいとう気持ちがあった。もっと魅力的な仕事のある土地の情報を求めていた。そんなとき、パウリスタ線とソロカバナ線に沿って、新しい作物の生産地があることをきき、安里はアルタ・ソロカバナ地方のパラグァス・パウリスタに家族みんなで移ることにした。 当時、棉のことを「白い黄金」とよんだが、それが ...
続きを読む »連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳= (68)
叔父の樽は少し前、サンカルロスに移り、町のそばに農園を借りて、野菜を栽培し朝市で売っていた。家族が増えていた。 1921年から1923年、イガパラヴァにいたとき、長女のハツエと長男ヨシアキが生まれた。1925年タバチンガでヨシオが生まれた。沖縄人らしく顔が真っ黒で、丸顔がノルデスチノ(東北部地方の人)に似ているので、「バイア ...
続きを読む »連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(67)
房子は未亡人としての責任を負わないことに決めた。兄に意見を問うと、兄はそれを承認した。戸籍上結婚しているとはいえ、それはなんの意味もなかった。一日たりともいっしょに過ごしたことはない。だから、彼女と夫とを結びつける関係、日常生活、親近感はないといえる。幾三郎の位牌を守ろうとする寛大な気持ちがあったにせよ、それは位牌を守る人がだ ...
続きを読む »連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(66)
房子がはやく家族や近所の人たちになじめるよう心を配った。幾三郎との破談は彼らに動揺を与えたばかりでなく、房子にも先のことは全く予想もつかない。配偶者と生活をともにするためにきたのに、その主人がいないのだ。 房子は結婚するしないにかかわらず、自分の生活環境に変化があったことはたしかだが、そのことでトラウマにおちいらないように、 ...
続きを読む »連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳= (65)
房子はルス駅のこちら側には何の興味もしめさなかった。そこで、こんどは反対側の色とりどりのネオンが輝く中心地に向って歩き出した。そこにはまだ大勢の人がいた。郊外電車を利用する労働者はルス駅で降り、駅の周囲にあるバスの停留所まで歩き、バスに乗って各方面の家路につくのだ。まだ、道は行商人でにぎわっていた。彼らはそこを通る人たちの気を ...
続きを読む »連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳= (64)
ところがその結婚に問題が生じていた。そのことを妹に知らせるため、樽は自らサントスまで迎えにきたのだった。挨拶がすむと、本題に入った。 回りくどい話しはせず、事実だけを伝えた。幾三郎は親友で、りっぱな男だった。自分らと同じ、花城の大事なウンシマウチつまり、同郷者だった。房子と結婚することで、彼女にブラシルにわたる ...
続きを読む »連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳= (63)
神戸からの出港光景もちがっていた。1918年、保久原正輝を乗せた若狭丸が出港したときの、家族離別の暗さがなかった。房子が出発したときはまるでお祭りのような雰囲気だった。家族や友人は船中のキャビンまで付きそうことができた。はじめの汽笛が鳴ると見送りの人たちは船から降りた。波止場は人で埋めつくされ、みんな手を振り、デッキの旅立つ人 ...
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一方、房子のほうは渡航に必要な書類を手にすることは容易ではなかった。 まず、結婚するための書類を用意するのに、何度もの手紙のやり取りが必要だった。当時は郵便事情がわるくものすごく時間がかかった。そして、全ての書類がそろったあと、名字を変更する作業がのこった。 沖縄で我如古ウザと登録した。書類は全部我如古ウザの名でなくてはな ...
続きを読む »連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(61)
なぜなら、村には何人ものカマグワァーがいて、他の場所の者との間でまちがいがおきる。そこで、名前の前に名字をつけるようにした。二人を間違えないよう、フサコや親類の者たちは母をイイムイカマーと呼ぶようにした。彼女は一生この名で呼ばれた。むすめのカマーが結婚して名字が変わってからもである。 保久原家の一部が沖縄の外に ...
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