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コロニア語考=移民の知恵=中田みちよ=(1)

「コロニア小説選集1」

「コロニア小説選集1」

 最近は、ニッケイ・コミュニテイという言葉もできましたが、ひと昔、ふた昔前までは、日系社会は何かといえばコロニア社会(注1)といい、コロニア語といったものです。
 わたし自身、戦後移民ですから、ブラジルにきた当初、近郊サントアマーロの同県人の農園で家族で就労した経験があり、農園主の邸にブラジル料理を習うという名目で手伝いに行ったりしました。
…ほら、ペピノをコルタして、トマテをミスツーラ、テンペラして、サラダにするのよ。
畑で馬鈴薯掘りを手伝うと、
…こんなグランデのバタタを切ったら、ノンポーデよ。セグンダもんになる…。
 ぼんやりして対応できなかったので、私はうすのろだと思われていたに違いありません。憧れのサンパウロ市内に買い物にいくと、
…最近のテンポロッコにはいやですたい。
…あれはマイズオメーノの男だから信用できん。
…ジャポン製のモッサですかあ
 これがいわゆるコロニア社会で使用されたコロニア語というものです。「た」という過去形にしたのは、最近はコロニア語を、つまり日本語を(使用者は日本語だと思っている)使う人口がめっきり減少したからです。これは移民一世の減少とは無関係ではありません。
 コロニア語は日本語の文脈のなかにポルトガル語が混じります。さらには日本各地の方言が混じることもあり、一般的には、キタナイ言葉として認識されてきました。
 しかし、最近、待てよ、言葉は混じったらキタナクなるのか。いったい何に対してキタナイと考えたのだろうか。日本の日本語、真正の日本語。では真正の日本語ってなんでしょうか。
 ものすごい数のカタカナが混じっている現在の日本の日本語。人によってはキタナイ、少なくても美しくないと思う人もいるはずです。ときには適切な日本語にならない言葉もあるでしょうが、書き手の見せびらかしを感じたりします。
 しかし、コロニア語というのは、ポルトガル語を解しない移民たちの生活手段、地に根を下ろしたものだったと考えれば、輝いてきませんか。過酷な農場のなかで生活の知恵として生まれた言葉、キタナイなどといえる種類のものではありません。
 子弟の学歴が高くなり、コロニア語はサンパウロ市内ではあまり使われなくなりましたが、これらを収集するのに好都合だったのは、たまたま、「ブラジル日系文学会」の会長の立場にあることでした。古い出版物を手にすることも難しくありません。

「コロニア文学」

「コロニア文学」

 そこでコロニア語収集に際し、コロニア文学会(注2)が出版した「コロニア小説選集」①~④巻までに出ている「コロニア語」を検索してみました。
 後部で詳述しますが、幸いなことに、各選集の後部に、「コロニア用語注釈(アイウエオ順)」付記されています。その第①巻は1908~1956年までの戦前の作品を集めていて、選集①を編んだ前山隆(注3)はこう述べています。
「日系コロニアの慣用語と化したポルトガル語が、必ずしもポルトガル語として正しいとは限らない。したがってアルファベット表記は示さなかった」。
 オリジナルがポルトガル語でも、正しい綴りができないものが大多数であるため、あえてポルトガル語は付記しなかったというのです。まさに正鵠をえています。マイズオメーノなど綴りようもありません。
 しかし、べつの価値があります。前山の言葉をつづけると、
「『コロニア小説選集』はブラジルに点在する日本人および日系ブラジル人の手になる日本語によって書かれた小説の、最初のアンソロジーである」
「これはわれわれ「日系コロニア」の人々のイニシアティブのもとに企画・準備せられ資金が蓄積せられ、かつこの日系コロニア自身の手で編集・印刷・発行されたものである」
「ブラジルに日系人文学界の事実上の代表機関である『コロニア文学会』の創立10周年を一つのチャンスとして、こうして日の目を見ることになった」
 まさにコロニア的で、コロニア人を代弁しています。永い苦学生時代の、集会後のテーブルに並ぶ料理をひたすら食べていた姿が髣髴します。この時代の前山さんはコロニア人でした。(つづく)
《注1》コロニア。日系コロニアとはColonia Japonesa の一般的呼称。ブラジル人のあいだに流通している日本語訳で、同時にブラジルにおける日本人・日系人の共同体をひとつにまとめて呼称したもの。
《注2》コロニア文学(1966創立した同人誌、ひところ会員約700名を記録した)
《注3》前山隆。文化人類学。サンパウロ大学人類学留学生。サンパウロ社会政治学修士、コーネル大学人類学博士。著書多数。本論に関して『異文化接触とアイデンテイテイ』が有益だった。