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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(24)

 彼はいつも競馬場にいた。ある物ない物すべてを賭けていた。動産、不動産、すべての財産を賭けごとにつかい、借金だけが膨らんでいった。そして家族まで失ってしまった。
 それは長男である哲夫の将来に大きく影響した。沖縄の習慣に従い、長男としてこの地にとどまり、ブラジル移住を断念しなければならかった。家名をひき継ぐということは父の借金を引き継ぐということでもあった…。
 正輝は決してそのことに触れたことはなかった。だから、息子のマサユキが沖縄を訪れ、昇から話を聞いてはじめて知ったのだ。父哲夫が日本に留まったあとの(哲夫は父の忠道が残した賭博による借金で検挙され、そのために長い間、沖縄の外で暮らさなければならなかった)家族の没落を昇はつぶさにみてきた。秘密ではあったが、そのいきさつのほんの一部だけをマサユキに打ち明けたのだ。なぜ、そんなに急速に、そして、どのような事態でそうなったか昇は話した。
「この辺、全部があなたたちのものだった」
 千代子がそういったとき、マサユキにはあまりに広すぎる土地なので、よく意味がつかめなかった。昇の話を聞いて、はじめてなにが起きたのか理解できた。千代子が指差した広大な土地がかつては家族の所有地であった。今はただ家族の記憶を呼び戻すだけのものになってしまっているが…。

 正輝は、日本そして沖縄から放り出された理由を、経済的状況のなかに見出そうとしていた。だから、当時の状況についていつも息子に話していた。また、島にのこった兄へのなつかしさも語ったし、兄とはできるだけ早く再会したいとも思っていた。何年かのちには帰ってこられるという約束を信じ、夢に胸をふくらませ、叔父たちに連れられ出発した。急速に没落してしまった家の金――失った財産の一部、いや、20世紀はじめの沖縄における財産なんてたかがしれている――をほんの少したずさえての出発だった。
 しかし、哲夫と正輝は二度と会うことはなかった。同じように忠道もいちばん下の弟、樽と再会することはなかった。地球の反対側で、正輝は聞かされていたよりずっと苛酷な人生に遭遇していた。そして、克服し生き残った。もしかしたら、沖縄に残っていたより、少しはましな人生だったかもしれない。しかし、正輝は息子たちに教訓を残すことだけは忘れなかった。
 そのなかのひとつは沖縄人の先祖に対する尊意、感謝、信頼の心だ。その精神を父正輝のかわりに、息子は尊敬の念をもって沖縄へもち帰った。1918年を前後して神戸を出立した多くの日本人たちと同じように、彼は大金を手にして帰ったわけではない。成金を夢見て移住した者たちの大部分の人たちにとって、それは夢物語にすぎなかったのだ。

 食べさせねばならない口が多すぎ、生産には少なすぎる土地の問題は沖縄に限ったことではなかった。明治初期の日本のいたるところの問題だった。1873年明治政府が公布した税金改正法は農家に苦境をもたらした。急速に貧困をもたらした主因は、新政府が国の近代化をはかり、多くの融資をそちらに注ぐという政策に出たためだ。1875~1880年には農産物による税金がなんと、国税の80・5%にもおよんでいた。10年のちに、国税の69・4%になったというものの、それでも、その指数はけっして低いとはいえない。それが結局、農民の貧困化として現れたのだ。農民は税金を払うために働いているようなものだったからだ。