コロニア文学は私も創立会員に名を連ねましたが、発起人たちは意気盛んでした。コロニアが溶解をはじめる以前の「我ら文学する」と結束していたころです。
こうして、書き手も印刷も純粋にコロニア人の手によって選集が編まれたのです。すごいことです。
その全4巻の内訳をみると、第1巻は1908~1956年までの作品27編を収録。作者は全員戦前の19名。前山はそれらの作品をパウリスタ文学賞以前、新聞投稿以前と区分しました。
「…第1巻(1975年出版)は、第二次大戦以前。移民の出稼ぎ意識が濃厚で、錦衣帰国の妄執に取りつかれていた第2次大戦の時期には、文学的創作の意欲が低迷。したがって約50年近い歳月のなかから19名ママの(実際は20名。作品数27は同一作者がいるため)作品がえらばれた」
この期(第1巻)の特長はコロニア語のなかに植民地関係の日本語の語彙、何というかコロニアが作り出した日本語、つまりコロニア語でもカタカナで書かないものが多数あるということです。
この日本的なコロニア語は、選集①の特色をなすもので、編集者前山のこだわりが見えます。地名や街名を彼はコロニア語の範疇に入れず、かわりに和製コロニア語(?)を多数挙げています(本編には当時邦字新聞紙上にも散見された語彙も含む)。
植民地・退植・入植・入植者・旧植民・新植民
耕地・入耕・退耕・脱耕
サンパウロ市・聖週間・聖人・南聖
伯字新聞・ブラジル人・ブラジル
臣道聯盟・旧移民・新移民
認識派・二分法案・ニポーニコ
特行隊・勝ち組・負け組
新来者・ジャポンノーボ・マカコベーリョ
域(アルケール)・ミル(?)。
特に通貨単位の(?)については深沢正雪(注4)は実にコロニア的だと述べています。戦後移住者の彼は「?」という字に、一攫千金の夢をみる移民の体臭を感じたのかもしれません。非常に興味深いことです。
また、ファゼンダでもブラジル人農場は耕地とよび、日本人経営の農場は植民地と分別した知恵。
聖という字は、サンパウロ市をサンパウロ市としたように、その後に多く出てくるブラジル聖人の名前には聖(サン・サント・サンタなど)という字が、聖アントニオ・聖女ファチマという風に使われていきす。これは新聞・雑誌はスペースが限定されるので、長ったらしいポルトガル語を割愛したいという知恵からでしょう。
さらに、選集①に古野菊生の作品が2編ありますが、彼は『転蓬テンポウ』という作品のなかで面白い試みをしています。
ヨ ノン セイ シケイロ アケレ メズモ ノン ! ケ、 フリア メルダ ! ビッショ
俺、知らん。豚小屋。あれたい。ねえ!。冷たいなあ、糞!。砂蚤。
上記のように、ルビをポルトガル語にしています。これで何を試みようとしたのでしょうか。真意は推測するしかないのですが、印刷所を泣かせたことは確かでしょう。
ここで断っておかなければならないのは、これら選集に採録されたコロニア語(総数417語)は、あくまでも作品中に表出したものだということです。
実生活のなかでは、前述したような話し言葉で使われていたのですが、(私自身がその体験者)小説は書き言葉である以上、「…ほら、ペピノをコルタして、トマテをミスツーラ、テンペラして、サラダにするのよ」的なものは無意識に排除されています。
マカコベーリョ・ジャポンノーボなどの戦後邦字新聞をにぎわした語彙も一覧表に顔を出していません。つまり、ここに表出されたコロニア語はあくまでもその一部、コロニア一般に流布したそのごく一部だということをご留意ください。
また、作中にブラジル人を登場させると、会話に必然的にコロニア語が混入してきますが、もちろん、なかにはコロニア語ゼロの小説もありました。この辺りで作者自身の日本人度を垣間見ることができます。
(つづく)
《注4》深沢正雪。ニッケイ新聞編集長。「邦字新聞の日本語と日本のそれとの違い」(日系文学53号)。