では、最近の「ブラジル日系文学」のコロニア語の混入度はどんな具合なのでしょうか。
最新の59号(2018年)、戦後の力行会青年移民の随筆を手にとると、インテルホーネ、ビッコ(アルバイト)、ピンゲイロ、カシャセイロに混じってイケメン、リーダー、ウオーキングなど最近のカタカナ語が混じっています。この地特有の名詞、たとえばピンガやカシャサなどは焼酎などより現地でなじみがあり、そのまま使用した方が平明で分かりやすい。と考えたものでしょうし、一方には生活が向上してインテルホーネやウオーキングが日常になっている現実があります。
内輪の話をすると、2~3年前までは編集の時にコロニア語をせっせと訂正したものでしたが、コロニア語に囲まれて暮らす我々の記録を訂正すべきでない、コロニア文学とはそういう地に根を生やしたものであるべきだという意見が多数となり、最近はそのまま発表しています。
ですから日本語としてのカタカナ語、コロニア語としてのカタカナ、それに原語としてのポルトガル語、さらには外国語の横綴りが混入して雑然としています。
かつての日系コロニアなら統率がとれていないと批判されたでしょう。そして、コロニア語はキタナイと否定的にとらえる日系人も多かったでしょう。が、言語が変形していく一つの過程として前向きに捉えれば、変化するその瞬間に立ち会う幸福な時間だという昂揚感に襲われます。
『【移民】は【ブラジル人】にならず、【コロニア人】となった。【ブラジルの日本人】はみずから【日本の日本人】から区別し、他方では【ガイジン】や【ブラジル人】からも区別している』
前山隆がこう述べたのは1975年です。それから、30年が経過しました。世代が進み日系人は三世、四世が主流となっている現在、前山のいうように【ガイジン】や【ブラジル人】からも区別している人間は、もう多くないはずです。すっかりブラジル人になっています。
頭に日系を冠することは、反対に逆差別だと憤慨していた三世の友人もいます。意識はすでに100%ブラジル人なのです。
ときどき、移民事業は国家の大計だと感嘆します。現在の為政者が明確にそれを意識しているかどうかは別として、移民を引き受けてきたブラジルという国家は、国家にペルソナリダーデがあれば、こんな大計をもって進んできたはずです。
ブラジルの植民地時代、カラムルーがブラジル人の祖となったように、日本人、日系人もまたブラジルという国のひとつのパーツとして組み込まれていくのは自然の理です。いずれ、スシやテンプラ、ヤキザカナ、カレー(ライス)もまたブラジル語になり、そのオリジンに想いを馳せるものなどいなくなるかもしれません。
余談になりますが、カレーはブラジル人にとても受け入れられやすい。一、二度即席カレーのルーを持参してブラジリアの息子の家で披露したことがあります。それからはブラジル人の嫁が、クリスマスのごちそうの中にカレーを入れるようになりました。庶民的な食べ物がごちそうになる。この発想は日本人にはない。
もちろん、私たち日本人が考えるカレーとは味が微妙に異なるのですが、カレーには違いなく、おいしい食べ物として定着しています。味のクレオル化といえるかもしれません。
世界は大きなサイクルでめぐっています。そう考えれば、コロニア語など、小さな小さなことではありませんか。(おわり)