「ブラジルに来れば、ロサンゼルスの日系社会を活性化させる手がかりが見つかるんじゃないかと思って来た」――沖縄文化の中でも、若者にひときわ人気が高く、世界中に支部を持つ琉球國祭り太鼓。ブラジルには10支部に739人のメンバーがおり、海外最大の規模を誇る。そこへ、米国からはるばる武者修行に来たのが片岡恭介ロッキーさん(22、二世)だ。ロス日系社会の次世代を担う、期待すべき若者といえそうだ。
片岡さんのブラジル滞在は9日から16日まで。2016年に出会ったブラジル支部の友人を頼り、同太鼓のグアルーリョス、ヴィラ・カロン、リベルダーデの3支部で練習に参加した。沖縄県人会カーザ・ヴェルデ支部と金武町人会の新年会では発表にも参加したそう。
来伯の目的は、ロサンゼルス日系社会を活性化させる手がかりを見つけること。「ロスの日系社会はブラジルと比較して、活動が盛んではない。琉球國祭り太鼓を通して、もっと皆がルーツに興味を持ってくれれば」と、単身で来伯した経緯を説明する。
片岡さんは、米国カリフォルニア州ロサンゼルス郡トーランス市出身。同市にはホンダやANAのアメリカ本社が構えられている他、400以上の日系企業が拠点をおく。人口は約15万人、うち約1割を日系人が占めており、リベルダーデと同じように日本食のお店や日本語で書かれた看板が並んでいる。
同市で日系企業の駐在員の子として生まれた片岡さん。幼い頃から日米両国で外国人扱いされ、自身のアイデンティティに悩みを持っていた。
片岡さんがルーツに対する関心を深めたのは、母方の祖父の河内浩さんが奄美大島出身だと知ってから。戦時中に学童疎開で奄美大島を出た祖父は、その出自の多くを片岡さんに語らなかったが「祖父の父は、奄美大島の苗字を持つことで差別を受け、『直』から『河内』に変えた」という話を聞いた。
片岡さんの島の血が騒ぎ、自分のルーツを調べ始めた。奄美大島が元々沖縄県の一部だったことを知っていた片岡さんは、友人から琉球國祭り太鼓に誘われた時、すんなりロサンゼルス支部に入部した。「琉球國祭り太鼓は、沖縄系だけでなく、日系社会全体を感動させる力がある」と感じた片岡さんは、各国の支部と交流し確信を深めていった。その中で出会ったのが、ブラジル支部だ。
片岡さんは「ロス支部のメンバーは約20人、ブラジルは何百人単位。すごいと思った」と感嘆する。自分も同じように大人数で叩きたい、その一歩を踏み出すためにブラジルへ行くと決めた。
今回、片岡さんは琉球國祭り太鼓がブラジルで盛り上がっている理由を「創設者の浦崎直秀さんが郷土愛と情熱を持って次世代へ伝えていったから」と分析する。現在巨大なブラジルの琉球國祭り太鼓だが、最初は小さい集団から始まった。「自分もブラジルの創設者と同じように、今は小さい組織でも強い忍耐力と誰にも負けないエイサー愛で大きくしていき、ロスの日系社会を盛り上げ後世へつなげたい」と熱い想いを語った。
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片岡恭介ロッキーさんは米国へ帰国後、訪日する予定。奄美大島で遠い親戚に会う他、先祖を祀った神社へ行くというルーツを探る旅に出るそうだ。先祖については、琉球國祭り太鼓を始めた時に祖父から教えられたという。先祖の名前は直川智(すなおかわち)。明(当時の中国)からサトウキビの苗と黒糖製造技術を1610年に持ち帰ってきた人物と言われており、現在もサトウキビ作りが基幹産業の奄美大島には、直氏を祀った開饒(ひらとみ)神社が残されている。『西郷どん』の「大河紀行」でも紹介されていたので、読者の中にも覚えている人がいるのでは?