若くしてサンパウロFCで頭角を現し、イングランドのミドルスブラ、スペインのアトレティコ・マドリッドなどで活躍。ブラジル代表では、1996年のアトランタ五輪で日本と対戦、2002年日韓ワールドカップでは優勝メンバーに名を連ねたジュニーニョ・パウリスタ。
165センチ、58キロと極めて小柄ながら、華麗なドリブルで日本にファンも多い彼は、現在は、プロ生活の最初と最後にプレーしたサンパウロ州の地方クラブ、イトゥアーノFCの会長を務めている。
チーム運営に関わり始めて10年。サンパウロ州選手権の開幕を直前に控え、ジュニーニョはイトゥアーノFCを育成の見本となるクラブに育てたいとの思いをブラジル地元紙に語った。
現役時代終盤、ケガのために現役を退こうと考えていた時、監督になる気も、ビッグクラブの役員になる気もなかったジュニーニョは、プロとしてのキャリアをスタートさせたイトゥアーノFCからチーム運営スタッフとしてのオファーを受けると、それを受け入れた。
チームに入って最初に目にしたものは、20年前、自分がプレーしていたときと全く変わらない状況だった。トレーニング施設も、育成チームもないままだった。
ジュニーニョは経験が浅かったので、失敗も多く、「自分の無知や至らなさで、多くの金を無駄に使ってしまったこともあるけれど、今はチームに関わる全てのスタッフはプロだ。特に育成に力を入れている」という。20歳以下の育成チームの選手が、仮にプロサッカー選手として大成しなくても別の道を探せるよう、教育にも力を入れているという。
一時は私財をチームに投じた事もあると認めているジュニーニョは、育成に力を入れることで、チームを全国選手権2部に引き上げたいと願っている。
今年イトゥアーノFCは、全国4部で戦う。ブラジルの全国4部は過酷で、68チーム中4チームしか3部に昇格できない。しかも、昇格できなければ、翌年も4部で戦えるわけではなく、州レベルの大会で好成績をとることで、4部出場権を獲得し直さなければならない。
「今はもう華麗なテクニックで中盤を構成するミッドフィルダーも、ドリブルに華のある選手も少ない。こうした状況を変えて、ブラジルサッカーの本質を取り戻したい」とジュニーニョは語っている。(21日エスタード紙より)
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