断片的にせよ、故郷の新しい情報にはちがいない。以前からの入植者のなかに、保久原と村は違うが同じ地域の具志頭村(沖縄の方言でグシチャン)からきた新垣という男がいた。二人には共通の話題があり意気投合した。彼は樽にピンガという酒をすすめながら、「沖縄の泡盛に似ています。サトウキビからできる酒です」と説明した。
この出会いを喜んだのは沖縄の人だけでなく、他地方からきた人も同じだった。みんなは新来者に助言をあたえた。コーヒーの収穫はどうやってするか、どうすれば家が住みやすいものになるか、それから農具の手入れや仕事の手順などをこと細かに教えてくれたのだった。
歓迎会は楽しく話は役に立ったが、汽車の旅を終えたばかりの樽夫婦や正輝たちには長すぎるものだった。それぞれの家に着き、時間がなくて急いで契約書にサインするころには、もう、クタクタに疲れきっていた。ザラザラしたレンガ造りの家は白く塗られ、触ると手が白くなった。家まで送ってきてくれた新垣が「石灰ですよ」と説明した。
新来者には家族に一軒ずつ家が与えられた。家は二つか、三つに仕切られていた。正輝の家は居間、台所、寝室の三つに仕切られていて土間だった。台所に釜戸はあったが、家具はなかった。居間にも何も置かれていない。正輝は寝室に入ってベッドを探したが、4本の脚に支えられた木の板があるだけで、裸で、なにも敷かれていなかった。
「ここで寝るの?」と内心疑問が生じたが、今のところ、どうしようもない。
「床に寝るのと同じだ」
自分にいい聞かせてあきらめた。生まれてからずっと床に寝てきたではないか。
疲れきっていた樽とウシは文句をいう気力もない。屋根の下で寝られるだけで満足ではないか。新垣と別れてから、明日のことは明日考えよう、今はただ寝ることにしようと考えていた。コーヒー園の管理者は、最初の二日を住居の手入れのためにあててあったのだ。
翌朝、起きてみて、みんな、自分たちがどんなところにいるのかわかった。
そこはサンパウロ州でもっとも広大なコーヒー園といわれるなかのひとつだった。30年前にプラド家が購入した土地で、約1万2000アルケールあり、当時、7万本のコーヒー樹が植えられていた。正輝がきたころにはその数は300万ちかくになっていて、四方は見渡す限りコーヒーの樹ばかりだった。
高台のコーヒーはまだ青く、まるで、樹海だった。美しかった。
みたこともない光景だ。小さな島国からきた者には、たった一種類の作付け面積がこれほど大きく広がるなど、予想もできないことだった。
「想像していたより、とてつもなく広いところだ」と樽は感動していった。
短期間で大金を稼ぐには、もってこいの本数だとも考えた。
ただ、気がかりなことがあった。低地の日が照る場所の樹が、焼けたように枯れているのだ。よく観察すると枯れ樹の面積が、正常な樹の面積に匹敵するほどある。
1918年の冬の寒さは厳しかった。あとでわかったことだが、1ヵ月前の6月25日の明け方、未曽有の大霜が降りていたのだ。それはベテランの労働者でも一度も経験したことのない寒波であり、大霜害だった。
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