来月1日に連邦下議に就任するキム・カタギリ氏(22、三世)は今月17日、文協ビルを訪問した。ブラジル日本移民史料館を初めて視察した同氏は、「戦国武将、片桐且元の家系の末裔」とのルーツを明かし、家族の移民体験を振返った。当選以来、サンパウロ州唯一の日系議員として引っ張り蛸となっているカタギリ氏は、日系社会への支援は「議員としての義務」のと位置づけ、支援してゆく考えを明らかにした。
ブラジル自由運動(MBL)の共同創設者の一人で、弱冠22歳にして46万5310票を獲得して初当選した。先月刊行された雑誌『フォーブス』では「30歳未満で最も影響力ある若手ブラジル人10人」に選ばれている注目の若手日系人だ。
同氏は、父・パウロ・アツヒロさん(長野県系二世)とブラジル人の母との間にサウト市で生まれた。幼少期には日系団体で野球チームに所属したほか、奈良県人会員である義姉に誘われ、同会活動にボランティアで参加するなど、日系社会との繋がりがあった。
移民史料館を初訪問したカタギリ氏は「以前から訪問したいと思っていた。初期移民の苦労に始まり、日本人移民が歩んできた浮き沈みを知ることができた。非常に有意義な経験となった」と所感を語った。
「移民した祖母あやこからは、開拓地では互いに支えあって暮らし、兄弟が学校に行けるよう働いて家計を支え、夜は蝋燭の明かりを頼りに勉強したと聞いている」と話し、祖母の足跡を振返った。
自らのルーツについては「一族のなかで歴史に名を残しているのが片桐且元。父や叔父からは且元の話をよく聞かされたよ」と滔々と語る。
且元は、賤ヶ岳の戦いで功名を上げた賤ヶ岳七本槍の一人。豊臣家の直参家臣だったが、秀吉死後に徳川家康に接近。方広寺鐘銘事件を機に内通を疑われ、大阪城を出て徳川方に転じた人物だ。
「秀吉死後、徳川家との折衝役となり和平を保とうと唯一画策した人物だった」という。通説では大阪の陣から20日後に病死したとされるが、「豊臣方の敗北を知り自刃したと聞いている」と一族から聞き伝えられた逸話も披露した。
来月1日に連邦下議に就任する同氏は「若者でありながら、46万票を獲得して当選した身として大きな責任を痛感している。今回当選した議員には期待が託されている。もし有権者を失望させることがあれば、それは政治家の存在そのものに対する信頼の失墜に繋がる」と背筋を正し、下院議会議長選にも意欲を示した。
さらに「日系社会のために尽くすことは、喜びであり名誉でもある。サンパウロ州唯一の日系連邦議員であり、その責任を重く受け止めている。日系社会からの要望に応えながらやっていきたい」と意気込んだ。