脱走の日、家族はまるで計画などしていないように、いつもの通り働いた。
けれども、きちんと計画はたてていた。打ち合わせていた行き先に着くため、どこで待ち合わせるか、ちゃんと決めていた。夜、日本からもってきたわずかな荷物をまとめた。もっていけないものは友だちにあげた。隣の日本人に別れの挨拶をし、歩きはじめた。長い距離を歩かなければならない。農場管理の駅で汽車をまてば、かならず、とり押さえられ、連れもどされるからだ。早足で歩かなければならない。脱走が発覚したら、馬に乗った使用人に後を追わせるに違いない。約束してあったところにくたくたになって着いた。そして、到着先のグァタパラ耕地の労働者の集団地にようやく到着した。よりよい生活を求めて、もう一度やりなおしたい気持ちでいっぱいだった。これまでは夢も希望もどうにもならない運命にさえぎられつづけたのだ。
樽たちは何よりも、日本に帰りたかった思っていたよりずっと苛酷な日々だった。ここは仮の地で、自分たちは在留民とよばれて、とりあえず住んでんでいるだけだと己に言い聞かせていた。しかし、樽は正輝より年上で、しかも経験も責任感もあったから、容易には日本へ帰れないことに気づいていた。想定外の悪条件がつづく日々。体格の差、なじめない言葉、異なった習慣、生き方や考え方の違いが、保久原の者とブラジル人やヨーロッパ系の移民との間に高い壁となって立ちはだかっているのた。
家族の孤独感はときとともに深くなり、その態度や健康状態にあらわれた。もとより、もとより、他の家族はとおい沖縄にいて相談することもできない。
「このままではダメだ。挫折感におしつぶされてしまう」
家長の樽はひらき直った。正輝は子どものときから連帯感というものを知っていた。新城の住民たちに強くながれる感情だった。だれかが家を建てるときは屋根瓦を戸主ひとりでのせてはいけないといわれ、決められた日に村中の男たちがそこに集まり、みんなで手伝った。また、仕事中に食べる弁当ももちよりだった。一軒で困ったことがあったら、みんなで手を差しのべた。
新城ではすべてがシマンチュ「同胞」だった。この言葉の本当の意味はウチナンチュ、つまり、沖縄人ということで、「同胞」よりもずっと強い絆をあらわしている。家族の血縁関係でつかわれるシマンチュは単に、兄弟姉妹、従兄弟、そして身近の親類を示したし、親類同士のいざこざも多かった。が、彼らシマンチュはけんかや誤解をできるだけ避けた。たんに血縁関係の親類とは違い、シマンチュには相互に強い絆をもっていた。それは自発的な連帯感をもとにした意図的な絆といえた。
樽は挫折感にうちかち、屈辱的感情に押し流されないよう、そして、家族に浸透しだした無気力を払いのけるために、新城で身につけた連帯感と相互扶助をここブラジルでも早急に養うべきだと痛感した。彼だけでなく家族の者もそう考えていたので、ことは容易に運んだ。
家族が互いにかばいあいながら、逆境を乗り越えていくことが自然に身についていった。困難が大きければ大きいほど三人の結びつきは強くなった。そんなことは家族みんながすでに知っている当たり前の生き方だったが、正輝が本当にその力を見直したのは不幸がつづくなかにもわずかな幸運をみいだし、ブラジルでの生活が少しずつ改善していることに気がついたときだ。
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