日本人は苦境にあるとき、「がんばれ!」という励しの言葉をかける。たとえば、マラソンなどで選手が苦境に立つと、まわりの者が「がんばれ」とさけんで選手を励ます。苦しみながらコースを走っている選手に、疲れにうち克てと励ましているのだ。それはまた、苦境にさからわず運命をそのまま受け入れろという言葉でもあった。
移民史の専門家セリア・サクライは、「現状を受容すること、そして団結してうち克つこと、これが日本移民とその子弟たちを根本的に支えたといえる。日本人にはどんな逆境にあおうとも、それを乗り越えようという気概があった。それは自分に定められた運命を受け入れることは、人間を宇宙との和合に結びつける徳性といえる」と記述している。
移民たちは合理的な労働と質素な生活をつづけることで浪費を防ぎ、その後の豊かな生活につなげようと夢見ていたのだ。
「がんばれ、マサテル!」
正輝もまた多くの仲間から励ましの声援を受けたひとりだ。
数えきれないほどの困難にあいながらも、彼は日本人としての誇りをもっていた。みんなと同じように強い信念をもち、だれでもどんな困難をも乗り越えられると信じていた。この自信は大和魂からくるもので、男たちは負けをよしとせず、それから何十年か後に、日本が第二次世界大戦に敗れ、母国が、そして彼らが断崖絶壁に立たされたときでさえ、負けを認めようとはしなかったほどだ。
もっとも、大和魂のなかに忍耐という精神が含まれていたから、大和魂は犠牲的精神とあやまって解釈されることもあった。ブラジルで新しい生活基盤を築いた移民たちには、他国に移住してきたという事実を前に、特別な犠牲的精神が培われていたといってもいい。
しかし、それだけが大和魂だったわけではない。日本人が誇りとしていた精神に根性というのがあった。根性とは、到着地を目ざし逆流を泳ぐといったようなことだ。ところが、根性はただ強くて、まっ直ぐだけではだめで、竹のようなしなやかさが必要だった。竹は強い風に対し、ただ、向い立つのではなく、体をしなやかにして風をよける。そして、風がおさまると、また、もとのまっ直ぐな姿勢にかえる。この柔軟性が根性には不可欠なのだ。
保久原樽はこの特性をもちあわせていた。家族が生きのびるための責任を背負っており、その責任をはたすことがいちばんの役目だと心得ていた。次から次に起きる災難が大きければ大きいほど、いかにふるまうべきか少し分かりはじめ、責任感をますますつのらせていた。しかし、分ったといっても、自分だけの視野、しかも生活範囲の日本人だけのごく小さな考えからの判断だった。
正輝も気概をもち、そのような生き方をした。それは彼なりの大和魂というものだった。対社会的にそれが価値あること、また、ときとともに涵養してきた理論にかなうことなら、それを賢明に実行し、みんなにもすすめた。
ただ、これが骨の折れる日々の仕事となると、話しは違った。たとえ仕事が少ないときでも、コーヒー園で働くことは自分にとって『犠牲的精神に』価しないと思った。
「仕事が少なくても、雨や日ざしの強い日、寒い日に毎日コーヒー畑に行って、一日中働き、ちょっぴりの賃金を得る。犠牲とはこういうことじゃないんじゃない?」と考えた。
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