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リオ・フンシャル移住地=今なお語り継がれる電撃訪問=早朝6時の衝撃、村民呆然

フンシャル移住地を訪問された若かりし頃の陛下

フンシャル移住地を訪問された若かりし頃の陛下

 「殿下がお見えになったのは、昭和42(1967)年5月27日の早朝6時頃でした。あの日の衝撃は今でも忘れられない」――リオ州フンシャル移住地在住の小松滋さん(63、北海道)は、当時の様子を昨日のことのように刻銘に記憶している。
 1967年5月、ご成婚後、初めてブラジルをご訪問された両殿下は26日にリオ入りし、同日は州知事主催の晩餐会、夜中の零時半近くまでサンバを鑑賞されていた。同移住地訪問は公式日程にはなく、弊紙の前身パウリスタ新聞記者が、移住地行きをキャッチしたのは、同日の午後11時頃だった。
 当時の座談会記事によれば、先廻りして待機していた田中敬吾記者は《部落の人たちは「本当に殿下はいらっしゃるのか」とねぼけ眼をこすりながら半信半疑だった》と当時の様子をこう綴っている。
 それもそのはず。村民は、翌27日にはリオ市のフルミネンセ・クラブで催される歓迎式典に出席し、両殿下に謁見する心づもりでいた。まさか、殿下自ら訪問されるとは想像だにしていなかったからだ。
 小松さんは「夜中の3時頃、使者からご訪問の知らせが突如として入った。当時は、電気も電話もない時代。だから皆が手分けをして、村の一軒一軒に連絡して廻ったんですよ。村民は『まさか本当に来られるようなことはないだろう』と半信半疑で、お迎えするために橋のたもとに集まっていた。いざ夜が明けて、さっそうとロールスロイスに乗って、移住地にお姿を現された時には、本当に目を疑ったよ」と回顧した。
 同移住地は、リオ州では唯一の日本政府の直轄移住地。日本のエネルギー政策の基軸が石炭から石油に代わったのに伴い、61~63年の3年間に北海道、福岡県の炭鉱離職者計48世帯が移住した。突然のご訪問は、移住した炭鉱離職者らの生活を気にかけられてのことと思われる。
 《飾りなくさっと部落に乗り込んだ皇太子さまは、矢継ぎ早に丸山事業団代表や西尾享部落会長に要領のいい質問を放たれ、「なんでもしってやろう」との意欲を示された。その機敏ぶりにお付きの人たちは振り回され、はたで見ている人には好ましい感じを与えた》
 小松さんは「当時は入植6年目の頃で、ご接見を受けた村民も多くが亡くなっている。植民地は今や23世帯で老夫婦や独り身も多いが、陛下のご訪問は、今なお伝説のごとく村で語り継がれています」と懐かしんだ。


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 フンシャル移住地のお忍びのみならず、「何でも知ってやろう」という若かりし頃の殿下の敏捷さが伺えるエピソードがもう一つある。前身のパウリスタ新聞が報じた「暁のお忍び」だ。67年5月23日、首都ブラジリアでの大統領レセプションが終わりかけた午前1時40分頃、「どこかに行きたい」という殿下のご意向をキャッチした記者がホテル前で待機。午前5時半、暁のなか宿舎をこっそりと抜けられた殿下の単独同行に成功するという特ダネに。殿下はアマゾン河の源流が流れるソブランンニャ、フェリカウ両部落の山や川で3時間ほど過ごされ、小魚を採取し、マンジョッカをお持ち帰りになられたとか。当時の座談会記事によれば《3日間で眠れたのは3時間くらいだっただろう。タフな皇太子様にお付き合いするのは至難のワザ》だったとか。まさに記者泣かせだったよう。