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県人会は一世と共に滅びるべきなのか?

県別のブラジル移民数

県別のブラジル移民数

 47都道府県人会はいつまで揃っているのか――ブラジル日本都道府県人会連合会の役員会の呼びかけで2月23日に行われた「京都会の昼食会」を取材しながら、そう考え込んだ。

 その時、鹿児島県人会の上園モニカみちえ会長は「ブラジルは世界で唯一47都道府県すべての会が揃っている。ハワイや北米も県人会はたくさんあるが、全部揃っているのはここだけ。一つでも欠けたら残念」と強調していたが、本当にその通りだ。

 危なくなった県人会に、県連が日本祭り参加を促して、活性化の機会を作っていることも、本当に素晴らしい働きかけだと感心した。

 1月26日には、総会なのにたった10人しか参加者のいない徳島県人会も取材した。昨年は60周年だったのに、母県との関係が遠ざかってしまい、式典ができなかったところだ。節目の式典をすることは、会にとって最低限の活動。会長に返り咲いた原田昇さんの手腕に大いに期待したいところだ。

 このように京都、徳島、会館をもたない奈良、一度解散した埼玉あたりが、最初になくなる県人会の最有力候補なのだろう。

 だが県人会が現在までに日伯交流に果たしてきた役割の大きさを考えると、たとえ一つでも欠けることは本当に残念だ。県連の山田康夫会長は常々「ボクにとっては47都道府県が揃っていないのなら、46でも37でも一緒。全部が揃っているから意味があるんです」と力説している。その通りだと思う。

 

県別のブラジル移住者数から見た県人会

 

 たまに「県ごとの移住者数が分かる表がありませんか?」と尋ねられるが、その度に「見たことありませんね」と答えていた。これを機会に本気で調べたら、見つかった。ただし、まとまった統計は存在しなかったので、戦前と戦後を別々の統計から集めて作った。

 最も当てになる『海外移住統計』(JICA、平成6年10月版)には1952年から1993年までの数字だけで、戦前部分がない。JICA横浜の海外移住資料館に問い合わせたら、『ブラジルの日本移民』(ブラジル日系人実態調査委員会編、東京大学出版会、1964年)に戦前部分があることが分かったので、組み合わせた。

 これを見て驚いたのは「京都は移民が少ない」と常々聞いていたが、実は最下位ではない点だ。滋賀県人会会長である山田さんは「京都よりも滋賀の方が移住者は少ないんだから、京都はなんとかなるはず」と件の昼食会で語っていたが、本当にその通り。というか、県連会長である山田さんの滋賀県が最下位だった。

 京都は36位で、その下に11県もある。2月24日に会館を大改修した富山県人会は44位だ。富山の会長は、昨年まで県連日本祭りの実行委員長を務めてきた実力者・市川利雄さんであり、移住者数よりもリーダーがいるかどうかに会の存続がかかっている。

 ただし、会館を持たない県人会(奈良、京都、埼玉)はみな下から11位以内だ。逆に1位の熊本、2位の沖縄、3位の福島、4位の北海道、5位の広島まで見事にそれぞれ活動が盛んなのは、やはり人材が豊富ということか。この考え方で行けば、東京は7位なのだからもっと活発でもいいはず。東京出身者ではなく、東京で移住手続きをした人が多いということか。

 戦前の順位が熊本、福岡、沖縄、北海道なのに対し、戦後が断トツで沖縄、熊本、東京なのは、沖縄戦と満州引き揚げ者の影響か。さらに長崎がやけに多いのも原爆の影響かもしれない。

 県人会最大の特徴は、「お国言葉で気兼ねなく親睦をする場所」という部分だ。それゆえに、二世の代になるとポ語がお国言葉となり、必要性が薄れ、若者が寄らなくなる。県費留学制度があっても、会館があっても、青年部がある県人会は多くない。

 

「一世と共に県人会は消滅する」という京都思想

 

2008年9月に初めて京都府知事を迎えて盛大に開催された京都文化・産業フェアー

2008年9月に初めて京都府知事を迎えて盛大に開催された京都文化・産業フェアー

 その中で、かつての京都クラブは独自の考え方を貫いていた。2000年頃、当時の会長・花山圭一さんから、「県人会は一世の親睦会で、いずれ消滅する。だから維持するのに子孫に余計な苦労をかける会館はいらない。親睦のために集まるのだから、母県に補助金をもらう必要もないし、正式団体の登録もいらない」という話を聞いたのを思い出す。

 ただし、こうも言っていた。「一世がいなくなったあとでも続けたいという二世がいれば、新しい団体を作ったらいい。既成の組織は継承されない」と。

 花山さんの次、04年に会長になった杉山エレナさんはその年の6月に京都ブラジル文化協会の親善使節団が来たのをきっかけに、移民百周年では知事の初来伯を実現すると意気込んで、まったく新しい組織「ブラジル京都会」に作り替えて、西村俊治名誉会長らの働きで同年11月に法人化、初の県連加盟を果たした。中久保益太郎初代会長が中心となって1952年に創立した古い会だが、エレナさんが初めて県連に加盟させた。まさに、大改革だった。

 以来、彼女が細腕一本で支えてきた。元留学生に声をかけても「仕事が現役で忙しいから」となかなか集まってこないなか、凄まじい努力をして会を存続させてきた。2008年9月には初めて京都府知事を迎えてブラジル京都会創立55周年式典と京都文化・産業フェアーが開催された。府知事をはじめ京都から約120人もの慶祝団を迎えた。

 だが、エレナさんも15年前の勢いはもうないのだろう。そこで2月23日に県連主催で、京都クラブ時代に県費留学生として日本へ行ったOB7人を呼んで、話し合いを持った。とても良い雰囲気で進行し、「存続に向けて、まずは内部でしっかりと話し合う」と意気投合していた。今までのエレナさんの苦労にしっかりと感謝をして、若手が会長職を引き継ぐのが理想だろう。

 その場で、OBらは「今後の県人会の在り方」について頭を悩ませていた。「一世がいるうちはその親睦もするが、二世、三世が主体となるのであれば、別の目標が必要」という根本的な問題だ。

 

非日系の青年部長誕生/県を愛する人の会へ

 

奈良県人会の青年部長を務める非日系人のマチアス・エイゼンハウエルさん

奈良県人会の青年部長を務める非日系人のマチアス・エイゼンハウエルさん

 そこで「京都をブラジルに紹介する会」という考え方が提示された。滋賀の山田会長は「京都は世界的に有名。京都を紹介する展示を日本祭りでやってくれたら、来場者がすごく喜ぶはず」と提案した。まったくその通りだし、それには日本側も喜んで協力するのではないか。

 さらにその場で、奈良県人会の青年部長を務めている非日系人のマチアス・エイゼンハウエルさん(28)も紹介された。山田県連会長によれば「県人会初の非日系青年部長。会活性化の一つの在り方」だという。つまり、県人子弟でなくても県人会員になれ、役員になってもらい会を支える存在になるというモデルだ。

 聞けば8年前、アリアンサで日本語を習っていた時、同級生に奈良県人子弟がおり、「日本祭りで料理を手伝ってくれ」と頼まれたのがキッカケ。そのまま会員になって会費を払い、翌年には青年部長を引き受け、3年前からは監査役もするようになったという。

 「どうして会員に?」と尋ねると、「もともと『日本書紀』に興味があった。世界中の神話を紹介する本があって、そこに出てきた日本書紀に魅かれていた。だから日本語を習い始めて、奈良の歴史が大好き。でも、残念ながら日本には行ったことがない」とのこと。「日本書紀が好き」というブラジル人青年がいるということ自体が大歓迎されるべきだろう。「子孫だから義務的に引き継ぐ」のでなく、「好きだから会に参加する」という新しい在り方だ。

 これからの県費留学生・研修生制度は、血縁にこだわらず「県を愛する人物」も日本に行けるようにすべきではないか。マチアスさんも「機会があれば、ぜひ日本を体験したい」と身を乗り出した。

 県を愛する人が中心になった会という考え方は、十分に一つの在り方だ。ぜひ京都会の留学生OBにもしっかりとその方向性を議論してもらいたい。

 

全ての日系団体が同じ問題に直面している

 

 花山さんは「一世の親睦会としての県人会は役割を終えたら消滅すべき」と言っていたが、「続けるならば、古い会を継承するのでなく、まったく新しい会を作れ」とも言っていた。

 これは心構え、コンセプトの問題であり、全日系団体も似たような課題をかかえている。というか、一世の激減による日系組織の後継者問題、存続させるための目的の変化は、すべての日系組織に関係する。県連・県人会だけでなく、文協しかり、援協しかり。さらには柔道・相撲・剣道などの日系スポーツ団体、日本舞踊の教室、地方日系団体しかりだ。

 一世の親睦会とはまったく違う活動目的を取り入れ、どう組織を組み立て直すか。一世が高齢化・激減する中で、すべての日系団体は今、大変むずかしい問題に直面している。ぜひ

京都会の留学生OBの皆さんには、今後、他の日系団体の模範となるような活性化を果たして欲しい。(深)