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『百年の水流』開発前線編 第四部=ドラマの町バストス=(30)=外山 脩

日系の町ではなくなっている

 バストスは2018年、移住地開設90周年を迎えた。

 その90年という長い歳月をかけて苦心惨憺つくりあげた町であるが、実は「経済を除けば、すでに日系の町ではなくなっている」と住民は言う。

 それも最近でなく、筆者は20世紀末の時点で、そういう説を耳にした。その象徴的現象として、行政が殆ど日系人の手を離れてしまっている――という事実が存在した。

 1928年、移住地開設以来、バストスは行政的には隣接するムニシピオに属していた。

 1944年、ムニシピオに昇格した。市長は1948年まで任命制で、非日系人が務めた。以後は、選挙で非日系の市長が二人続いた。しかし、その2番目に警戒感を抱いた地元社会は、次の選挙で日系人を候補に立て当選させた。そして1996年まで──内一期を除いて──36年間、7人の日系人が市長を務めた。以後は非日系の市長が続いている。市議も似た様な経緯を辿った。

 2017年、筆者がバストスを取材した時、日系は副市長と市議が一人ずつ居るだけだった。こうなったのは、立候補する人間が居なくなってしまったからである。原因は、選挙や政治活動に金がかかり過ぎることにあった。なにしろ「市長になった日系7人の内6人は皆、破産してしまった」というから深刻である。

 金がかかり過ぎたのは、非日系住民の無心、たかりによるものであった。(政治家への無心、たかりは、この国では何処でも根強く蔓延っている悪習である)

 非日系の住民の数は、ある時期から増え続けた。日系人が事業を大きくするため、労務者を多数外部から雇い入れる様になってからである。彼らは家族とバストスに居着き、その人口は膨張した。

 自然、それ以外の非日系人の数も増えた。

 1960年代、住民は非日系の方が多くなり、選挙の帰趨を左右するほどになった。日系社会自らが播いた種ということになる。しかし日系社会は、この問題に関し効果的な手を打たなかった。

 多少のことはしたが、焼け石に水だった。

 本稿の③『悲しき習性』で触れた「日本移民は個人主義(利己主義)が強く、リーダーの後継者をつくらなかった」という嘆きは、これを指している。この習性に二世、三世も染まってしまっていた。これでは、立候補者が居なくなるのは、当然の成行きだった。かくして、バストスの行政は非日系の手に渡ってしまった──という次第である。

 こんな話もある。非日系の某は以前は失業者だった。ある日系住民の処に「働かせて欲しい」と頼んできた。その住民は雇って運転手をさせていた。が、どんなカラクリがあったのか、某は選挙の折、重要な公職に立候補、当選してしまった。しかし任期切れで退いた後、ファゼンダを6、7カ所持っていることがバレた。もっとも、その後、またスッカラカンになったそうである。

 

日系人口は20~25%/日本語教育は風前の灯

 

 前記した人種構成の変化も、バストスが日系の町でなくなっていることを現わしている。

 2017年時点で、ムニシピオの人口は約2万で、日系はメスチッソを含めても20~25%ということであった。2018年現在も同じという。

 しかも、その日系も一世、年輩の二世を除けば、殆ど日本語を話さない。前出の海老沢さんも「文協の役員でも、日本語を話すのは私だけ」と苦笑していた。

 文協が運営している日本語学校の生徒は2017年は39人だった。その5年前の2012年、筆者がバストスを訪れた時は50人で、他に私塾があって80人、計130人だった。私塾は、その後、閉まった。2018年改めて問い合わせると、日本語学校の生徒は35人という。このまま行けば、さらに減って行くだろう。風前の灯という感じだ。

 バストスの非日系化は、これ以外の面でもドンドン進んでいるという。2012年、筆者がバストスを訪れた時、当時の文協会長、藪田オサム氏は、こう話していた。

 「バストスは、もう日系の町ではなくなくなっていますヨ。60年前、私が10歳の頃にあった日本的なものは総て消えています」

 この日本的なものとは、一世が祖国から持ち込んだ習慣、行事その他諸々を指しているようだった。(つづく)