ところがその結婚に問題が生じていた。そのことを妹に知らせるため、樽は自らサントスまで迎えにきたのだった。挨拶がすむと、本題に入った。
回りくどい話しはせず、事実だけを伝えた。幾三郎は親友で、りっぱな男だった。自分らと同じ、花城の大事なウンシマウチつまり、同郷者だった。房子と結婚することで、彼女にブラシルにわたる道を開いてくれた。そして、それが実現したのだ。そのことについては樽は非常に感謝している。
しかし、委任状による結婚が成立し、房子が乗船する間に、幾三郎は医者にも見当のつかない大病にかかっていた。身体は激しく衰弱し、立つこともままならず、はっきり言葉を発することさえできなくなってしまったのだ。治療法など皆無だった。
そんなわけで樽は妹がすぐに、そして、若くして未亡人になるのを防ぐため、婚姻が成立しないように図った。房子が夫となる人に会わない。それだけでよかった。房子は花城で彼を見たことはあったが、まだ、子どもで覚えてはいなかった。兄は彼を知っていたといわないように釘をさし、またこれからも会うことはないと念を押した。
「これからはうちの家族とタバチンガでいっしょに暮らすのだ。ちいさい娘が二人いるが、家のことはできるし、ウチナアグチも上手だ。行先きが決まるまで、娘たちとうちでくらせ」と樽はいった。
サントスからサンパウロまで行くはずだったが、長時間汽車をまつことになった。というのも、朝出る汽車に乗れず、次の列車まで4、5時間またなければならなかったからだ。駅の立ち食いするバールやレストランで食事した。ご飯、フェイジョン、レタスのサラダ、肉とじゃがいもの煮物というごく質素な食事だった。このような食べ物についてはすでに情報を得ていた。これから先、このような食べ物が毎日、テーブルにならべられるのだと、早くなじもうと、いっしょうけんめい食べた。
変わった飲み物を飲んだ。黄色くて、泡立ち、はじめに一口は焼けるように感じた。だが、甘くて、変わった味でおいしかった。樽は「ガゾオザ」と説明した。本当はグァラナだったが、日本人はどんな清涼飲料水も「ガゾオザ」といっていた。「いつも飲むわけじゃない。祝いのときだけだ」と兄は力を入れていった。祝いごとなどそうあるものではない。けれども、二人にとってこの再会は祝いの日なのだから、味わいながら飲むよう妹に伝えたかったのだ。
サントスからサンパウロに向かいルス駅に着いたのはすでに夕方だった。
その時季は日が短い。6時半には街灯はともっていた。樽はいちばん近いサンカルロスまでの乗車券を2枚かった。そこで、ドウラデンセ線に乗りかえ、タバチンガに行こうとしていた。
サンカルロス行きの汽車は午後11時にしか出なかった。それまで、時間があまりすぎるほどあった。樽は自分の手荷物とそれよりずっと大きい妹の荷物を荷物預り所において、二人で駅のそばでも歩こうと駅をでた。まずはじめに、駅の北側にあるルス公園にむかった。木の茂った、よく手入れされた公園だが、歩くには暗すぎた。その一角にりっぱなビルがあったが、夜は照明もなく、不気味な感じがした。そこは州立のピナコテッカ博物館の本部だった。それでも、樽はその近くまで行ってみた。日本から着いたばかりの妹に見せたかった。すぐ近くだから、行くだけのかいがあると思ったのだ。