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ブラジル漫画家協会35周年=創世記の功労者3人顕彰=軍政時代に検閲うけ発禁にも

ブラジル漫画創世記の功労者を表彰

ブラジル漫画創世記の功労者を表彰

 「35年間は飛ぶように過ぎ去った」――ブラジル漫画家協会(Abrademi)の35周年式典が17日午後、サンパウロ市の三重県人会館で行なわれ、3度目の会長を務めている最中の佐藤フランシスコ紀行さんは感慨深げにそう挨拶し、約70人と共に節目を祝った。ブラジルを代表する有名漫画家マウリシオ・デ・ソウザが祝辞をのべるメッセージ動画が上映され、三重県人会の下川孝会長も「漫画という日本文化普及に35年間も献身してきたことに賛辞を送りたい」と挨拶した。

 ブラジル日本会議の徳力啓三理事長が力強く乾杯の音頭をとり、最後は両手を挙げて全員で「バンザイ」と叫んだ。

 当日はブラジル漫画界の先駆者3人が顕彰された。1960年代、最初に漫画出版を始めたエジレル(Edrel)出版の経営者ケイジ・ミナミさんの代理で孫カリナさん、同出版の主力漫画家だった瀬戸クラウジオさんの代理で娘ミユキさん、同じく主力漫画家だった福江豊パウロさんは本人が出席した。

 福江さんは会場で自作漫画『Sanjuro』を販売。きけば「軍政時代に検閲を受けて、出版されなかった作品。それを再出版した」という。

 佐藤会長はスライドで同協会の歴史を振り返った。1981年、漫画やイラストをコロニアから募集して展示会をする文協の若者向けイベントとして始まった。それが3年間続き盛り上がりを見せたことから、当時の尾身倍一会長が「協会をつくったらどうだ」と先見の明のある提言をした。

 一方、サンパウロ総合大学でもソニア・ルイテン教授が漫画研究をしており、83年から学生を中心にした研究会があった。その両者が合体する形で84年2月3日設立し、初代会長に佐藤さんが就任した。「あの頃は、今のように漫画やアニメが大流行するとは思ってもみなかった。日本語の漫画はコロニアのごく一部の人しか読めなかった」と佐藤さん。

 そんな同年9月末には、国際交流基金の招聘で“漫画の神様 ”手塚治虫が来伯し、アブラデミが漫画講習会を開催した。そのときに手塚治虫からキャラクター入りのサインをもらった一人が、管波梨枝(かんなみ・りえ)エリザさんだ。35周年当日には、そのサインのコピーが会場に展示された。現在はパラナ州ベンセスラウ・ブラス市在住だが、このために駆けつけた。

 その手塚のサインをまじまじと見ながら、来場者の松井英俊さん(79、東京都)は「移住する前は東京都練馬区に住んでいてね、近くの学校の講堂でたまたま手塚の講演会があった。見に行ったら、ガリバーの手に乗った人の絵をその場で描いていた。懐かしいね」と目を細めた。