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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳= (70)

 房子の移住は、出発まで時間がかかったが、その間に得た漢方医学の知識は結婚生活に大いに役立った。知識ばかりでなく、漢方医学の本質やその応用法がしるされた解説書をもってきていた。
 二人がはじめての冬をむかえたとき、正輝は寒さによる体の痛みを訴えた。房子が沖縄で習得した教えによると、体のある場所に熱をあてると、痛みがおさまるという。その場所とは中国のもう一つの医療法で、針を使うやりかただった。ただ、房子は、沖縄ではヤアチュウ(お灸)とよばれる針の代わりに、ヨモギを原料にしたモグサを円錐形にして使った。
 房子はこのモグサを小箱に入れて、沖縄からもってきていた。その箱に漢方医学の説明書を筒のような形に巻きつけていた。お灸をすえることは儀式のようなものだった。房子は筒型の説明書をていねいに巻きもどし、つぼの場所をしっかり確かめ、モグサの箱をあけ、使う数を取り出し、箱をきちんと閉めて、また、説明書に巻きつけ、もとの引き出しにしまった。
 つぎに線香の箱を開け、(結婚して以来、線香の箱はいつも家に備えてあった)一本取り出し、正輝をすえる場所によって、あおむけにしたり、うつぶせに寝かせたりした。房子は説明書通りに注意深くおき、ランプで線香に火をつけ(その線香は手製で、葉巻タバコに火をつけるのに使った)それで円錐形のモグサを焼いた。
 房子がえた知識では、正しいつぼに針の熱をあたることで、エネルギーの循環をよくする、つまり、循環が悪いと、痛みをおこすということだった。
 「エネルギーのアンバランスで体のある部分がうっ血症状をおこす。熱い針をうつことで、血液循環をよくする」と、教えられていた。
 ふつう、お灸をすえるときは、モグサの火が皮膚にいたる前に取ったが、房子は火が消えるまでそのままにした。皮膚がやけて、傷あとが体に残ることもあったが、正輝はそのほうが効果があると思った。その直後はヒリヒリと痛みを感じるが、あとから、ここちよい気分になれた。我慢のかいもあるというものだった。
 二人はお互いの知識を分かち合うことで、単純な生活から開放された。ただ、房子が妊娠しないことが悩みだった。それは家族にとっても同じことだった。
 月がたっても、お腹は大きくならなかった。房子は当時、知られていた「妊娠しやすい法」というのもやってみた。月経の周期をもとに、いちばん妊娠しやすい時期に交合する方法だった。あるときは交合のあと、起き上がらないほうがいいのではと考え、ベッドのなかで、姿勢を崩さずじっとしたりした。近所の人がすすめる、いろいろな茶も飲んでみた。「絶対に効く」というのだが、まるっきり効かなかった。
 そうなると、ユタに相談すべきだということははっきりしていた。ユタはこの世の者とあの世の者を橋渡しする巫女のような存在だった。日本政府はユタの働きは原始的すぎると、50年前から活動を禁止していた。けれども、沖縄人、あるいは沖縄からブラジルにきた者たちのあいだではユタの影響力は強かった。正輝は子どものころ、故郷、新城で母、タルに連れられて、ユタのところへ行ったものだ。
 病気のとき、金につまったとき、家族が仲たがいしたとき、親類のだれかが死んだとき、旅に出るとき、母はユタのところへ行った。まず、線香に火をつける。すると、ユタは何人家族か、そして、その名前と年を聞いた。「ウトウト」といいながら、祈祷をはじめるのだった。その名前を唱えながら、依頼者の問題を訴える。たまには、タルに仔細を聞き返すこともあった。