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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳= (71)

 ユタはそれぞれの問題について説教し、助言し、説明を与えてくれた。みた夢を判断したり、預言したり、先祖と話したりした。そして先祖が平穏であるか、それとも、子孫になにか望むことがあるかを訊ね、また、子孫がどのようにふるまうべきかの助言も受け、訪れた者たちに伝えた。そして、先のことを予言した。
 房子が妊娠しないのでユタに相談すべきだということははっきりしていた。正輝はユタがタバチンガからずっと離れたアメリカナにいることを知っていた。途中、サンカルロス駅で汽車を乗りかえるほどの遠方だ。そのユタはよく相談にのり、預言が当たることで知られていて、二人のつよい気持ちからすれば二日間の旅などわずかな骨折りというものだった。
 アメリカナのユタを訪ねることにした。
 祈り方は正輝が新城で経験したのと同じだった。祈祷のはじめに「ウトウト」と大声でいって、祈りを中断したり、呼びかけをしたりした。そして、助言や説明の言葉がくだされた。ユタは正輝の家には宗教的なものが欠けているという。家のよい場所に正輝の父の位牌をおき、その日から、父の思い出を蘇らせろというのだ。
 「おまえの先祖は、おまえを守る。おまえが良いことをしているか、正しい行いをしているかつねに見ている」
 そして、「ご先祖様はおまえたちを守り、助けてくれる。だから正しく行動するのだ」とユタは結論をくだした。
 沖縄人は子どものころから、常に正しく行動し、見返りをあてにせず、ただ、善意と慈愛をもって人に尽くせと教えられてきた。正輝も房子もそのように生きてきた。ただし、正輝は自分の望みをとげるために、実利的な行為にはしることがあった。
 そんなとき、正輝は他の沖縄人とおなじように、罰が与えられるのではないかと怖れていた。罰といっても、カトリック教、その他の宗教のような天罰ではなかった。それは「バチ カンジュー ドー」、つまり、「おまえのしたことはおまえの身にふりかかる」という沖縄特有の罰である。いままで自分がしてきたことが、夫婦が直面している子どもができないという問題となって、降りかかってきたのではないかと正輝は悩んだ。
 房子の懐妊が遅れたことは、夫婦の宗教的な習慣に大きな変化をもたらした。
 アメリカナのユタの助言にしたがい、手製の小さな仏壇に正輝の両親の位牌がおかれ、毎日、水と食べ物がささげられた。沖縄人には霊となった先祖も生きている人間と同じように飲食するのだった。先祖はこの世に水を飲み、物を食しにやってくる。だから、彼らが望むものをささげた。その水や食べ物をふた方で分け合うのだった。
 「毎日、位牌の前で拝まなければ、祝福は受けられない」とユタは厳しくいい渡した。
 そのうち夫婦は子どもが授からないのは、妻の肉体的な、あるいは遺伝的な欠陥が原因ではないかと考えはじめた。イタリア移民の近しい人たちは、夫の生殖機能を疑ったりしたが、日本人というのは決して男性を疑わない。女性側にばかり原因があると考える。だから房子は、ユタに従っても問題解決にはならないかもしれないと考えた。
 けれども、いままで通り位牌を拝む習慣はつづけた。先祖を敬い、善行をなすことは沖縄人の義務だともこころえてもいた。それはまた、不妊という不幸をふせぐためでもあった。