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連載小説=臣民=――正輝、バンザイ――=保久原淳次ジョージ・原作=中田みちよ・古川恵子共訳=(72)

 「バチ カンジュー ドー(おまえのしたことはおまえの身にふりかかる)」
 自分たちが子宝に恵まれないことを、神の罰がくだったなどといわせないためでもあったのだ。
 房子が懐妊しないまま、一年、一年半、二年とときはどんどん過ぎていった。房子は、これはユタの智恵、経験では解決できない問題だと思うようなった。正輝はあまり医者に相談しない。房子に医学知識があることも医者にたよらない理由でもあった。
 彼女に子どもができないことで、いまでは年寄りばかりでなくみんなが「ヌウガ カサリラン?─なぜ妊娠しないのか?」と聞くようになっていた。専門の医師を探さねばならなかったが、小さなタバチンガの田舎町にはそのような医師はいない。正輝は樽叔父が住んでいるサンカルロスに有名な医師がいるので、そこで、あるいはなんとかなるのではないかと考えた。
 ウンベルト・ヂアス・ダ・コスタという有名な医師で、すでに不妊で悩んでいた移民夫婦の問題を解決していた。おまけに、正輝夫婦のような貧乏な農民からは、形ばかの治療費しか受けとらなかった。当時の奥地の医者がそうであったように、寛大な心をもっていた。片言のポルトガル語しかできない移民の話を熱心に、根気よく聞き、患者を理解し、適格な指示を与えて安心させた。
 ウンベルト医師には解決できない問題などないという印象だった。いや、少なくとも、患者はそう思った。どんな問題でも時間が解決してくれる。忍耐がいり、医師がいう治療法をずっとつづける。たとえすぐに効果がなくても待つことだ。患者の不妊の原因がどのようなものであれ、それがどんなに困難でも、かならず「どうにかしてみます」というのだった。
 ウンベルト医師の善意はすぐに伝わった。ポルトガル語のほとんど分らない房子に、医師のゆっくり、はっきりした話し方は安心感を与えた。安心感はこのような治療には不可欠なものだ。診断のあと分ったのは、房子のほうに受精卵を子宮に係留できないという欠陥があることだった。
 「子どもができないのか」という質問には、「できる」という答えが返ってきた。房子の妊娠は時間の問題である。
 診察がすんだあと、医師は房子が手術を受けなければならないことを告げた。ごく簡単な卵巣の矯正手術だという。この手術は過去に多数の人に施術したが、まったく危険はなく、しかも成果は100%に近いと説明した。
 ただし、手術のために何日か入院が必要なことも伝えた。病院については心配いらない。サンカルロスの慈善病院を手配し、そこで手術を受けることになるということだった。
 房子はサンカルロスの神父に会いにいった。医師の紹介だった。洗礼を受けたかったのだ。医師が信仰するカトリック教の神の恩恵を授かりたかった。
 クロロホルム麻酔のおかげで房子は手術にたえた。ウンベルト医師の必ずうまく行くというという言葉を信じていた。
 もっとも、二人がはじめて治療の効果があったこと、成功したことを知ったのは6~7ヵ月あとのことになる。房子はようやく身ごもったのだ。医師から妊娠を知らされて、タバチンガに帰った正輝は「ナア カサギトン!(にんしんしたぞ!)とさけんだ。1934年の1月末から2月にかけてのことだった。出産予定日は10月か11月のはじめだ。