軍事クーデターが勃発した1964年3月31日から55年が経つことで、ボルソナロ大統領が記念のイベントを行うよう軍に指示したことが、法務関係者や軍部、国民にまで大きな波紋を広げている。28日付現地紙が報じている。
ブラジリア連邦地裁のイラニ・シウヴァ・ダ・ルス判事は27日、ボルソナロ大統領が25日に出した、3月31日に関する指示について、「なぜ、それを祝うことが正当なのかの説明」を5日以内に行うよう命じた。
また、連邦検察庁は同日、三軍の司令官らに、3月31日を祝う公的行事開催を避けるようにと勧告した。これは大統領の意思決定から48時間以内に、18州と連邦直轄区の検察局が、大統領の指示への疑問などを検察庁に提出したためだ。
だが、市民団体や司法関係機関の動きにも関わらず、ボルソナロ大統領は27日のTV番組で、「あれはクーデターではない」「ブラジルがキューバのような国になるのを防いだのだ」とし、1985年まで続いた軍事政権を擁護した。
エルネスト・アラウージョ外相も同日、軍事政権発足は「クーデターではない」「ブラジルが誤った方向に行かないようにするために必要な運動だった」と擁護した。
だが、ブラジルの軍事政権では、政治犯とされた人約2万人が強制連行された刑務所で拷問を受け、約400人の犠牲者を出した。また、ジョアン・グラール大統領の職責を強制剥奪。以後21年にわたり、大統領の直接選挙も行われなかった。その他にも、職責を剥奪されたり、亡命したりした政治家などが続出した。
軍政下で命を落とした政治犯の遺族らは、記念行事をとりやめさせるよう、最高裁に訴えるための嘆願を行っている。
1988年に制定された憲法でも、軍事政権時代は「民主政治不在で、人権意識にも欠けていた」と記されている。
また、27日付G1サイトによると、軍高官の間でも今回の大統領の支持に賛意を表明していない人たちが少なからずいるという。ただ、現時点で考えられているイベントは、兵士らが集まった場で3月31日を記念する文書を読み上げる、卒業式を行う、展示を行う程度のもののようだ。
27日にフェルナンド・アゼヴェド・エ・シウヴァ国防相が署名、公表した「1964年3月31日」と題する文書には、「冷戦の最中に起きた出来事が、全体主義に向かってエスカレートしていた動きを止めた」といった文言が盛り込まれている。
他方、ボルソナロ大統領は27日、今回の件に関する学生たちからの猛烈な抗議運動に会い、サンパウロ市マッケンジー大学で行われる予定だった討論会をキャンセルした。
また、ここ連日、大統領との確執が報じられているロドリゴ・マイア下院議長も、「私は軍事政権で迫害を受けた人物の子供」とし、不快感を口にした。同氏の父セーザル氏は軍政時代にチリに亡命し、その時代にマイア氏が生まれている。