在クリチバ日本国総領事館(木村元総領事)は3月30日夜7時、総領事公邸で外務大臣表彰伝達式を行った。サンタカタリーナ州のラーモス日伯文化協会顧問の山本和憲さんと、サンタカタリーナ日系協会連盟元会長の新里エリジオ善和さんが、それぞれの親族や友人10人ずつに囲まれ祝福された。
最初に木村総領事が受賞者を紹介。「一昨年のラーモス桜まつりには4千人が訪れた。人口3千人の町にそれだけ来ることはすごいこと。初めてラーモスを訪れた時は本当に驚いた。森の中に忽然とコロニアが現れた。そして一生懸命に日本文化を広めている」。
山本さんの功績は、ラーモス移住地で日本式経営による農家の連携構築、和梨栽培のノウハウを導入して高品質の果実生産に成功し日本人の名声を高めたことなど。文化協会会長も務めて日本語
教育の維持向上、和食普及に尽力。日本文化紹介の拠点「八角堂」の建設発案者で、現在も顧問として積極的に後継者育成に努めている。
山本さんの友人を代表してブルーツリーホテル経営者の青木智栄子社長は「まったく違う土地から持ってきた果物をここに根付かせるのは大変だったはず。奥さんの忍耐力や支え合っての受賞では。山本さんから『僕が生産しているのはナシの形をした幸せ。それを消費者に届けたい』と聞いたときは、心底感動した。私もこの日本人スピリットをブラジルに広めたい」と熱く力説した。
山本さん本人は「これほどの賞を受ける業績が、自分にあるのか半信半疑。でもいろいろな人のおかげでなんとかやってきた。皆の代表として受けたと納得してる」と訥々とのべた。
一方、総領事は新里さんを「コロニアのないフロリアノボリスで、盛んに日本文化活動やっていると聞き、最初は信じられなかった。日本文化を残そうとする努力は素晴らしい」と紹介。
新里さんは、サンタカタリーナ州都のニポ・カタリネンセ協会や同州日系協会連盟で長年貢献。とくに前者では「日本人到来200周年」(03年11月)を初めて盛大に祝い、笠戸丸以前の歴史に焦点を当てた。02年から10年の間会長を務め、州における日本文化紹介の先駆け的な役割を果たした。14年からは日系協会連盟会長として「七夕祭り」を積極的に支援、日本文化の普及や向上に尽力している。
友人代表としてヴィルソン・ゴー神父は「私は37年間、ファヴェーラで子供向け教育プロジェクトをして6千人以上育てた。新里さんとは20年間も一緒にその活動をしている。日本文化普及活動も目覚ましい。3・11のあと、彼の呼びかけで37宗教団体が連帯の意思表明をする合同ミサを開催した」と称賛した。
新里さん本人は「私は父(一世)が88歳で死ぬまで『セニョール』と呼んだ。娘と一緒に剣道を1年半学び、初めて彼女は私のことを『セニョール』と呼ぶようになった。日本文化はブラジルにとって必要なもの」と語った。
最後に千葉科学大学の東祥三(あずましょうぞう)副学長が「お二人の話を聞き、学歴と社会的な創造は関係ないと痛感した。試行錯誤を繰り返すことでしか文化は発展しないことを教えてくれた。彼らのような人材をどうしたら育てられるかを、まさぐっていきたい」語り、その乾杯の音頭を合図になごやかな歓談となった。
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クリチバの外務大臣表彰伝達式で千葉科学大学の東祥三副学長と名刺交換すると、千葉科学大学の上に「学校法人 加計学園」との文字が。あの有名な学校だ。東さん本人も2012年まで5期も衆議院議員を務めた政治家だった。聞けば、同大学はパラナ連邦大学とパラナ・カトリック大学(PUC)と姉妹校だとか。東さんは「もちろん、新設された獣医学部もブラジルと交流していきますよ」とアピール。東さんは危機管理学部危機管理学科の教授であり、洪水被害や鉱滓ダム決壊、スザノ学校乱射事件など様々な危機的な災害や人災に、続々と見舞われているブラジルは、たしかに視察する価値は高いかも?!