先日、3月31日はブラジルで軍事クーデターが発生して55周年にあたったが、それをめぐりボルソナロ大統領が「その日を祝おう」として国内の世論が大きく揺れた▼結局、この日に、元から乗り気でなかった軍がどういう行事を行なったのかはよくわからないし、国民一般でも頻繁に見かけたのは「軍政への抗議行動」がほとんどで、軍政を礼賛する行動を起こした人は、かなり少なかった▼「何を言っているんだ。軍政はブラジルを共産主義の危機から救ったんだぞ」。この言葉を、ボルソナロ氏やエルネスト・アラウージョ外相らの発言で何度も耳にした。おそらくこれが彼ら極右派の今後の主張の拠り所になるのだろう。だが、この件に関して「共産主義化の危険性って、ブラジルに本当にあったの?」と、コラム子は以前から疑問に思っていた。古い歴史を振り返ってみても、そんな状況が思い当たらないからだ▼1964年3月31日の軍事クーデターは、当時の左派大統領だったジョアン・グラール(通称ジャンゴ)氏に対して行なわれたもので、大統領府を軍が占拠して、同氏の任期を剥奪したことからはじまったものだ。軍の言い分によると、「ジャンゴ氏は共産主義を扇動した」とのことだったが、果たして本当にそうだったのだろうか▼ジャンゴ氏は1961年8月に前任のジャニオ・クアドロス大統領の突如の辞任で副大統領から昇格した。ジャニオ氏は中道右派でジャンゴ氏は左派と、全く主義主張は違ったが、この政権が成立していたのは、この当時のブラジルの大統領選では大統領と副大統領を別々に選ばないとならない妙なシステムが存在していたためだ▼だが、かねてから左派として知られ、中国とも親交のあったジャンゴ氏の大統領就任はかなり恐れられ、このときに「共産主義化か?」の恐怖はあった。ジャンゴ氏本人は、政界での師匠がジェツリオ・ヴァルガス氏で、キューバ危機の際にもキューバ政府の態度を批判するなど、そこまで左に振り切ったイメージは実は無かった▼だが、政界はジャンゴ氏の治世を恐れ、同氏の権力を弱めるべく、より中道寄りの内務大臣(首相)が連邦議会を代表して設けられることになった。その初代として就任したのが、後にブラジルの民政復帰の議会大統領選で当選したタンクレード・ネーヴェス氏だった▼ただ、1963年1月に行なわれた「大統領制か、議会内閣制か」を問う国民投票で、82%もの国民が大統領制を望んだのだ。国民が本当にジャンゴ氏による共産主義化を恐れていたら、まずこんな数字になることは考えられないのだが。こうして首相は廃止され、ブラジルは大統領制一本に戻った。だが、ジャンゴ氏の存在は議会ではほとんど力を持つことはなかった・・▼こうした状況でジャンゴ氏が強権発動して、ブラジルを社会主義化、共産主義化させることはとても可能だったようには見えない。加えてジャンゴ氏の治世下はかなりの高インフレの時代で国民の支持や求心力も高いとは思えない。そんな状況で、彼を中心とした左派クーデターがその後に起こることも考えづらい状況だ▼結局、軍は、64年3月25日に起こった海兵隊員たちの生活向上を求めての反乱の原因をジャンゴ氏にあてつけたが、こんなに力がなかった大統領の任期を無理やり剥奪したのが果たして「国を恐怖から救ったこと」にあたるのだろうか。だいたい、この行為の動機そのものがかなり美化されていたようにしか思えないのだが。(陽)