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ボルソナロ政権、最初の100日で分かったこと

▼スタートダッシュに失敗したボルソナロ

 

 ボルソナロ政権はスタートダッシュ(最初から全力疾走)をするはずだったのに、逆に失速している。

 ブラジルの場合、大統領は1月1日に任命されて働き始めるが、連邦議員が就任するのは2月初めで時差がある。さらに、この国の呆れた習慣の一つは「カーニバルが終わらないと新年が本格的に始まらない」ことだ。

 しかも今年はカーニバルが3月初めと遅かったので、実際に連邦議会が審議を本格化させたのが3月以降…。

 1月23日にオキッキス・ロレンゾーニ官房長官は記者会見で、「最初の100日間で実行する課題」を35項目発表した。INSS不正削減対策、29から22へ官庁合併、政治家指名の公務員を約2万人削減、銃器所有規制の有緩和大統領暫定令、米国・カナダ・オーストラリア・日本からの短期ビザ免除の大統領暫定令、空港や道路の運営権民営化など確かに実行されたものもある。

 ボルソナロ大統領は4日に記者に問われて、「来週詳しく発表するが、最初の100日の課題の95%は達成したと大臣らは公表し、残り5%は事実上達成したと言うはず」と答えている。

 だが、最優先課題のはずの社会保障改革は進んでいない。それに大統領暫定令も連邦議会で承認されていないし、国民は生活上の変化を実感していない。ポルノまがいの動画を大統領がSNSで拡散した「ゴールデンシャワー」問題とかの無駄な話題、「軍事クーデターの日を祝え」と大統領が発言して国民から強い反発を受けたこと、しっかりと二人三脚を組むべきマイア下院議長と口論するなど、社会保障改革と犯罪防止法案を最優先する意識があれば起き得ないことが次々に起きた。

トランプ米大統領が見守る中、ホワイトハウスで署名するボルソナロ大統領(Washington, DC – EUA 19/03/2019、Foto: Alan Santos/PR)

 さらに、いきなり米国、チリ、イスラエル外遊をきめ込み、肝心の国内の議会工作がおろそかになっている。いくらトランプ信奉者とはいえ、足元を固める前にワシントン詣ではないだろう。

 トランプがゴラン高原のイスラエル領有を強引に認めたのに続いて、まるでネタニヤフ首相の選挙運動の応援演説をするかのようなタイミング、イスラエルの総選挙(9日)の一週間前に、ボルソナロは訪れた。これはブラジル外交の伝統なスタンスとかなり違う。トランプ周辺の思惑に、引っ張られ過ぎている感がぬぐえない。

 そんなことばかりしているから、今もって新政権と連邦議会がまったく噛み合っておらず、不協和音ばかりが聞こえてくる。さらには、「反PT」だけで昨年10月にボルソナロへ投票した国民は、どんどん離れていき、新政権の支持率はさっそく急降下している。

 

▼「トマ・ラ・ダ・カー」の代案はどこに?

 

 ボルソナロは「トマ・ラ・ダ・カー」(連立与党に大臣職や高級官僚職を配分して、議会での得票を確保する)をやらないと選挙戦で公言して、それをやってきた。だから過半数を制するような「連立与党」(バーゼ)が存在しない。ボルソナロは「聖書派」「銃規制緩和派」「農牧派」などの3大議員グループが賛成してくれると楽観し、その代表的議員を大臣に迎えた。

 だが、現実には議員グループよりも党派の拘束力が強いことが今頃分かった。約30党にもこまかく分かれたブラジルの議会には、日本の自民党のような巨大政党は存在しない。513議席のうちで最大政党でも60人ほどしかおらず、大半の小政党は数人で、烏合の衆に近い。それぞれと交渉して束ねて過半数にしないと、連邦議会で法案は通らないから裏取引が常習化している。

 ボルソナロが「トマ・ラ・ダ・カー」を辞めたこと自体は称賛されるべきだが、それよりも優れた「代案」を提示して実行しなければならない。ところが、3大議員グループによる過半数達成がダメになっても代案がなく、手詰まりになっている。

 ロドリゴ・マイア下院議長が「ツイッターでは議員は動かない」とボルソナロと言い合いをしていたのは、その点だ。ボルソナロは昨年、テレビ討論会に一度も出ることなく、ほぼツイッターやSNSだけの選挙戦で国民の半数からの投票を受けた自信がある。

 「ツイッターで支持者に訴えれば、議員も自分の言うことを聞くはず」的な盲信がある。それに対して議員らは「ツイッターを通して言うんじゃなくて、顔と顔を突き合わせて話をしろ」と要求してきた。

 つまり「みんなが見る公の場じゃなくて、密室で話を付けてうまいことやっていこうよ」と要求したようだ。

 

▼社会保障改革のリミットは年末でなく8月?

 

 3月の「新年開始」から1カ月間が過ぎたが、現政権の最重点課題であるはずの社会保障改革の審議は、最初の憲政委員会からつまずいた。ゲデス経済相は「6月までに通す」と超楽観的な見通しを年頭に述べていたが、現段階ですでに6月通過は難しい雲行きだ。

 来年後半には地方選挙があるから、国民への年金支給額を減らすという選挙戦で不利になる「改革」は、今年中に通しておく必要がある。「今年中」といっても、議員心理を考えれば、実際には9月頃になれば「来年をにらんだ空気」になってくる。9月以降に通すのは今よりはるかに難しい。どんなに遅くても「8月中」に通さないと、「もう社会保障改革はダメ」という空気になりかねない。

 9月になれば「社会保障改革は失敗」、もしくは「承認こそされたが、よってたかって骨抜き」というシナリオもありえる。

 新政権にとっては最初の半年間こそが、選挙民からの期待も大きく、マスコミも「最初はお手並み拝見」と様子見をするから一番やりたいことを実行しやすい。ここで実行できなければ、その後はもっと難しい。

 そんな大事なタイミングで、ゲデス経済相が3日、社会保障制度改革を審議する下院憲政委員会が開いた公聴会に招待されて、PT議員の「お嬢ちゃん」発言でぶち切れて審議を中断してしまった。

 

▼「お嬢ちゃん」の罠に引っかかったゲデス

  

3日の憲政委員会公聴会で、たった一人で社会保障改革を説明して、野党の集中砲火を浴びて撃沈したゲデス経済相(Cleia Viana/Camara dos Deputados)

 質疑応答の際、ゼカ・ジルセウ下議(労働者党・PT)が「年金生活者、高齢者、農家、教師にはTigrao(虎)の如く牙をむくのに、特権階級にはtchutchuca (お嬢ちゃん)のようにふるまう」と皮肉った。

 ゲデス経済相がぶちきれて、「チュチュッカとはなんだ! チュチュッカはお前の母親や祖母だ」とやり返したことで、咆哮鳴り響く動物園のような状態に。収拾がつかなくなった委員長が公聴会を急きょ取りやめ、ゲデスを返した。

 この公聴会の映像の抜粋を見たが、ゲデスは基本的にPTやPSOL、共産党などの社会保障改革反対派議員の無理難題的な反論に、6時間もの間、一つ一つ丁寧に冷静に答えている。

 なんと6時間だ――。しかもこの時、本来は与党的に大臣を守るべきセントロン議員グループが申し合わせて欠席していた。これはボルソナロ大統領に対して「連立与党を組んで役職配分をしないと、僕らはバーゼ(与党)の役割をしないよ。しないと、こうなるよ」という伝言をしたわけだ。

 そこで、ゲデス経済相はたった一人で、野党の集中砲火を6時間の間、浴び続ける精神的な拷問を受けた。そのあげくに「特権階級にはtchutchuca (お嬢ちゃん)のようにふるまう」と中傷されて、ブチ切れて退散することになった。

 これは端的に言って野党の勝利だ。野党は、最初から公聴会を混乱させて法案審議を進めないことが目的だったから、あの手この手で経済相を怒らせることを言う。これは、政治家なら常識だ。

 でもゲデスは経済人であり、このような修羅場に慣れていない。政治家からの罵声の洗礼を初めて浴びて、6時間で堪忍袋の緒が切れた。

 その同じ日に、行きづまった状況を打開するために、ボルソナロはロレンゾーニ官房長官がおぜん立てした下院議長、上院議長、社会保障改革を支持する政党代表と次々に会談し、「審議を進めるため」の話をした。

 だがボウロナロは「役職配分の話はしなかった」と言っているから、他の形で“うまい汁”を吸わませる案を考えたのかもしれない。だが政党代表らは「まだ社会保障改革には賛成だがバーゼではない」と言っているから、“うまい汁”に物足りなさを感じている可能性がある。

 

Tchutchucaの本当の意味は?

 

Bonde do tigraoの公式サイト

 ちなみに、ゲデスがブチ切れるきっかけになった言葉Tchutchuca(お嬢ちゃん)は、辞書サイト(https://www.significados.com.br/)によれば、この言葉は主にリオ地方で使われる俗語で、「bonita」(かわいこちゃん)とか「gata」(子猫ちゃん)と同じ様に使われる単語だというから、品はないが、悪い意味ではない。

 2001年にリオのファベーラを中心に人気になったファンキ・バンド「Bonde do tigrao」が飛ばした全伯的なヒット曲の名が「Tchutchuca」だ。その歌詞は「おいで、きれいなお嬢ちゃん/黒いボクの横に座って/肩を抱いて、可愛がってあげる。熱い割れ目が欲しい」で始まる。卑猥な“正統派ファンキ”で、当時の庶民の若者に爆発的にうけた。

 ちなみに4日付UOLサイトの記事では、同ヒット曲の作詞者で歌手のレアンドロに取材して、次のようなコメントを引き出している。「大臣への敬意に欠けてるよ。俺がチュチュッカと表現したのは、女性たちへの顕彰の意味だ。この曲は女性への敬意をもって作った。決して貶める言葉ではない。チグロンだって『大量殺戮者』みたいな意味じゃない。良い人のことだ」という。今もこのバンドは月に15回も公演をする人気があり、「この曲は一番のヒット曲だから欠かさず演奏される」とのこと。

 レアンドロはさらに、「とにかく敬意を欠いた使い方だ。あのセニョール(ゲデス)は、彼(ジルセウ)より年上なんだから、彼は敬意を払うべき、少なくとも俺はそう学んだ。他人になにかを求めるなら、僕らの曲の言葉を使うんじゃなくて、別の言い方があるはず」、「こんな風に使われてマジに悲しいよ。俺たちの国はほんとにカオスだ。政治はもっと別のことに焦点を当てるべきだ」と答えている。

 不思議なことに、代議士先生であるはずのジルセウ下議より、ファンキ歌手の方がよほど道徳的な回答をしている。

 

▼頭角を現した、あのジルセウの息子

 

ゼカ・ジルセウ下議(労働者党・PT、Alex Ferreira)

 ちなみに、このゼッカ・ジルセウ下議は、あの60年代の学生運動の英雄にして、PT政権時代に「ルーラ三銃士」とよばれたジョゼ・ジルセウの息子だ。本名はジョゼ・カルロス・ベッカー・デ・オリベイラ・エ・シルバであり、母の苗字のみ。だが政治的な地盤を継ぐために、そう名乗っている。

 父の方はメンサロンに続き、ラヴァ・ジャット作戦でも逮捕され、31年の判決が下されている。息子も2017年にラヴァ・ジャット作戦で、父の巻き添えで一時捜査されたが、ファキン最高裁判事が証拠不十分でお蔵入りさせた。

 UOLサイト4日付記事で、現在40歳の同下議は「18歳ごろに、チュチュッカを良く聞いていた。でも前もってあの表現を考えていたんじゃなく、その場で浮かんだ」と認めている。

 彼は「あの逆切れは、経済大臣に心の準備ができていなかった証拠。一国の最も重要な役職を任され、スーパー大臣とか呼ばれて浮かれていたのでは。あれで不安定さを露呈した。熟練さに欠ける」とし、「私は下議3期目だが、こんなことは今まで一度もなかった」と、ゲデスが政治的な丁々発止の場に慣れていないことを強調した。

 ジルセウは「チュッチュカは、銀行家や投資家に“優しい”ぐらいの意味で使った」として、ゲデスの過剰反応だとしている。ゲデスらが属する富裕層級からすれば、「ファンキで使われいるお嬢ちゃんという言葉」というだけで「世俗的なバカ娘」という風に受け取ったのかも。

 ジルセウは子供時代から父にくっついてPTの会議に顔を出していた血統証付きのサラブレットだ。18歳からPTで働き始め、大学を卒業するとパラナ州政府の労働局官僚になり、04年にクルゼイロ・ド・オエステ市長に当選。10年から連邦議員。歳は若いが、父親譲りの図太さと実行力をもち、頭角を現してきたPTの次世代のエースの一人だ。

 今回の一件で手柄を上げ、党内でもさらに発言力を増していることだろう。ボルソナロの息子らと、ジョゼ・ジルセウの息子らの「二代目対決」が起きるとすれば、かなり品のない戦いになりそうだ。(深)