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臣民――正輝、バンザイ――保久原淳次ジョージ・原作 中田みちよ・古川恵子共訳=(89)

 大陸への侵出は日本政府の力関係を掌握したいという軍人首脳部にはまたとない機会となった。1932年2月、満州侵略に異議を唱える元大蔵大臣井上準之助を殺害した。同年5月、東京の電力発電所、銀行、ある党の本部、その他のビルを襲い、戒厳令を発布させようと混乱をおこした。最大のテロ行為は内閣総理大臣犬養毅の青年将校たちによる殺害だった。彼らの思い通りのクーデターにまでは至らなかったが、1924年以来つづいた内閣の終焉となった。
 青年将校たちは1936年2月26日、再びクーデターを企てた。1000人以上に及ぶ下士官兵が東京の中心部を占領した。反乱軍は首相、岡田啓介の官邸を襲撃したが、首相の顔を知らなかったので、彼は難を逃れた。
 しかし、内務大臣の斎藤実と大蔵大臣、高橋是清はその夜、暗殺された。天皇は反乱を即座に鎮圧するよう命じ、すばやくその処置がとられたが、この事件はその後の日本政府の方針に大きく影響した。政治は軍人たちの手にわたり、言論と思想の自由が目に見えて圧せられるようになってしまったのだ。
 1937年、文部省は理論的、道徳的に国粋主義をより強くしむけるため、『国体の本義』という本を発行した。本は西洋的観念や資本主義、個人主義を批判した。内容は私心なく国、つまり天皇に仕えることが日本国民の誉れであるとうたっているものだった。過激右派にとって愛国心こそ重要なのだ。『国体の本義』にはこのようなことも書かれていた。
 「明治以来、国の傾向は伝統精神を捨て、西洋思想に染まり、歴史的な信念を維持しながらも、西洋の学術理論に関して十分な批判もせず、二元的思想にはしり、それを意識していない。西洋思想の影響を受けた知識階級が西洋や北米の教育を容易にまた急速に受け入れた結果といえる」
 『国体の本義』の教えは急速に日本全土、そして、外国にいる移民たちの間に広まった。この本は発売以来、200万冊以上も売られ、ブラジルにもわたり、アララクァーラの仲間たちにも売られた。故郷から遠くはなれて生きる日本人のなかでごく当たり前におこることだが、国粋主義者と名乗り、事実を変更したり、中途半端に報道することもあった。
 しかし、正輝のグループは真剣にこの問題にとり組み、故国が直面している歴史的状況をしっかり掴もうとしていた。彼らは国粋主義理論の本質的要素のいくつかを具体化していった。それは移民が住む粗末な家の粗末なテーブルを囲んで話し合われた。尋常小学校に通っていたころ教えられたことを、今、遠く離れたこの地で活性化しようというわけだ。
 西洋の人にとって不合理で、ときには滑稽とさえ思える価値観がみんなを高揚させた。たとえどんなに困難な問題であろううと、その解決法を探しだした。国の先行きが左右される危機において、なかには反対派に自分たちの意見を「説得させる」といった名目で、非常手段にでたり、暴力行使までも否定しない日本人が現れた。
 このような行為は自己の利益のためではない。自分の欲などまったくなく、ただ、国のためという意識からだった。国粋主義をときには暴力によって認めさせることもあった。非常に危険な思想だが、1914─18年の第一次世界大戦のあと、日本中に蔓延していったものだ。それはブラジルの移民にも影響を及ぼした。