18年度研修生の黒澤菜月(25)です。大学在学中に曽祖母の代からの信仰である「世界救世教」のブラジル研修に2度参加し、短期滞在の経験があります。大学卒業後は半年間ブラジル料理店で勤務し、その後1年半、愛知県内の高校で教員として勤務していました。
ブラジルへ興味を持ったきっかけは外国への好奇心からで、交流協会の研修事業に参加しようと思った理由は、2度の研修経験からブラジルが好きになり、「世界救世教の信者としてブラジルで生活する」という夢を叶えたいと思ったからです。
私の前半の研修はリオ・グランデ・ド・スル州のカシアス・ド・スルで日本語を教えることでした。生徒数は約30人、1日平均4回の授業をもう1人の先生と行っていました。
その研修の中で私は、様々な「壁」にぶちあたりました。今まで当たり前のように書いてきた「も」の書き順や「そ」の書き方を説明する難しさ。「慣れ」で済ませていた部分を、まったく文化が違う人に理解してもらえるように教えるというのは、とても難しいことでした。教えることを通じて、教えられていると思いました。
至らないところが多くある私ですが、研修先の引き受け人でもあるホームステイ先のお母さんには、そのところを多く教えられました。
正直、そのお母さんを私は何回怒らせてしまったか分かりません。過去10人の研修生の中でもたぶん一番だと思います。「菜月が変わる気がないならカシアスから去ってもらう」とまで言われました。「変わる」と言われても「何を変えたらいいのかがわからない」まま毎日が過ぎていきました。
私の家庭には生まれたときから宗教がありました。小さいころから教会に行くことは当たり前で、私はそれをカシアスでも続けるつもりでいました。母子家庭で育った影響から、何でも自分だけで決めてしまう癖があり、教会通いのこともステイ先のお母さんにあまり相談せずに行っていました。
私を心配してくれている気持ちに気付くことができませんでした。
叱られながら聞いた「菜月がどんな宗教を信仰していようと家族みんな絶対に偏見を持ったりはしないからね」という言葉を聞いて、改めてちゃんと話しておけばよかったと本当に思いました。「ちゃんと相談してから決める」。当たり前だけど、とても大切なことを教わりました。
意識を改めて研修に励んでいましたが、協会から9月の中間研修報告会(半年間の研修体験を報告する発表会)をもって、カシアスでの研修は中止となったことを告げられました。ステイ先家庭でのトラブルや日本での教員経験からくる授業方法の相違が教室を混乱させたことが原因だと思います。
「変わるってこういうことなのかな?」と少しずつ気付けるようになっていた時のことでした。研修の中止は日本への帰国を意味します。後悔や不安など様々な思いが胸を去来しましたが、どこか「ホっとした」という気持ちがありました。
中間研修報告会ではこれまでの体験を全て話しました。その途中、カシアスから「もう1人の先生が菜月が残ることを望んでいる。もしも、菜月が望むのであればカシアスに残ることができる。ただし、授業の準備はもう1人の先生が全て行い、菜月はそのアシスタントに徹すること」と連絡が入りました。
今後の研修について選択する機会が急に私に与えられたのです。
「一度いらないと言われてしまったのに、戻るとはどういうことなのか」
「どうしたらいいんだ?」
心の中は戸惑いで溢れ、すぐに答えを出すことが出来ませんでした。
悩みを抱えたまま私は、報告会の翌日から行われる中間研修旅行に出発することになりました。
「カシアスで研修を続ける」「日本に帰国する」二つの選択に心が板ばさみになっていたその時、協会から第三の選択肢が与えられました。それは「サンパウロ市のラーメン店ラーメン和が研修を引き受けてくれる」というものでした。
一度覚悟した日本への帰国の気持ちは強くありました。研修中止を告げられてからこれまでに、カシアスに戻って上手くやっていけると思えるほど自分が成長したという実感もありませんでした。
私はラーメン和での研修を希望しました。「逃げた」と思う部分もあります。でも、カシアスに戻っても今のままでは失敗を繰り返すことになると思いました。和での研修が始まる間、自分を見つめ直しました。そもそも、なんでこんなことになってしまったのかと。そもそも、なんで私はブラジルに来たのかと。
和では、もともと飲食店での勤務経験があったので、仕事は1週間でほとんど覚えることができました。
一緒に働くみんなは菜月の「ツ」が言えないので、私のことを「ナチ」と呼んでいました。みんなに会えるのが楽しみで毎日出勤していました。
職場の方は周りの人のことを考えて動いてる人が多く、私の至らない部分を見本のように見せてくれていました。
カシアスではできなかったことをここでは実践しよう、挽回しようと毎日意識して研修していました。
リベリダーデ店のリニューアルセレモニーに着物で参加させてもらうことがありました。
そこでの私は、せっかく着物を着せてもらったのに、来場者の接待が上手く出来ず、料理を食べたり、スマートフォンを触ったりしていたことを覚えています。「そういう周りを見れないところがダメなんだよな…」と誰に言われるでもなく自己反省しました。
自分の行いを省みる。
カシアスの時には出来ていなかったことができる様になっていると思いました。成長実感のある毎日が続き「いい顔してるね!」と周りから言われることが多くなりました。
話は少し変わって、私が初めてブラジルに来たのは大学3年生の時。教団を通じて2週間の青年海外研修プランに参加をした時のことです。たった2週間の出来事でしたが、その時の感動が忘れられず、大学4年生の時にも1カ月間ブラジルで過ごしました。今回の研修はそれ以来2年振りの訪伯です。
7月、サンパウロにある聖地に滞在して教義の一つでもある「自然農法」の体験をさせてもらいました。200ほどの苗植えを任さてもらいました。途中、職員の方に「苗にもちゃんと命があって、それを土が育ててくれるんだよ」という言葉をかけられて、はっとしました。植えることだけに集中して、作業を遂げる機械の様になっていた私。「そこに命がある」ということに全く気付かなかったのです。
「苗にも優しくできない人間が、周りの人のことを考えられるわけがない…」
そのことを意識してからは丁寧に、きれいに植えることができました。
自分の至らない部分に気づく。教義と研修生活での学びが偶然にも一致しました。このことに気づくためにブラジルに来たんじゃないかと今は思っています。
思えば新しい環境で私はいつも浮いていました。それは、わが道を行くというわがままな性格のせいだったと思います。そしてそれが自分の知らないうちに周りの人に迷惑をかけてしまっていたんだと思います。
悪気はないのに、周りの人の気に入らないことばかりしてしまったり、自分の殻に閉じこもって思いを伝えられなかったり。
この一年の経験を通してもっと周りの人のことを考えられるようになりました。
カシアスで過ごした6カ月は一生の財産です。わがままな自分から変わろうと、至らない部分を改善しようと、自分の知らない自分に出会うために磨かれまくったからです。
2018年のブラジルは本音を言うと楽しいよりも辛いことの方が多くて、「ブラジルに来ないで日本で高校の先生を続けていればよかった」なんて思うことも正直ありました。カシアスでは人生で初めて首周りまでアトピー性皮膚炎が出て、かゆ過ぎてぐっすり眠れないことも多かったです。
でも、今は決してブラジルに来なければよかったとは思っていません。
きっかけはただ「世界救世教の信者としてブラジルで生活がしたい」だけだったはずなのに、ブラジルに来なければわからなかったわがままな自分の姿、わが道は通用しないという想像以上の大事なことに気付けたからです。
25歳になってこれからの人生で生きていくために大事なこと「気配り」をブラジルという鏡が私に見せてくれました。
4月からは岐阜県内の高校でまた教員として働くことが決まっています。
これからの生活は心も身体も磨いて、ダイヤモンドのように輝いていられるようにします。そして、ダイヤモンドのような旦那さんと家庭を築くが今の私の夢です。
“Construir o um novo eu, e se auto analisar constantemente”
「第2の自分を作って、第1の自分を常に批判する」これを忘れずに。
◎
2020年度の研修生募集期間は7月31日まで。募集人数は15人程度。参加要件は、①2020年4月1日時点で成人している②高等学校卒業もしくはそれと同等以上の学力を有する③犯罪歴が無い④日本事務局が開催する募集説明会に参加していること。
参加費用として100万円が必要で、半年間の派遣前研修を日本で受けてから渡伯となる。応募、詳細問い合わせは同協会HP(http://anbi2009.org/)から。(終り)